雑誌100円のなぞ


段ボール等に「雑誌一冊百円」と無造作に書かれた看板を見たことはないだろうか。最近、新宿や渋谷の繁華街の駅の周辺に散在するこのような露店。ここ一年くらいであろうか。こうした露店があちらこちらに目に付くようになってきた。板を敷いた上に積み上げられた夥しい数の雑誌。その中には、今日や昨日出たばかりの雑誌も含まれている。

わが国では、雑誌は書籍・新聞等とともに定価販売を認められた数少ない商品の一つであり、事実上その値段以下で消費者が購入することができるのは、わずかに古本屋さんでだけである(もちろん、古本屋さんで取扱われている本はセカンドハンドであり、新刊本とは基本的に異なっていることは改めていうまでもないことである。なお、制度上書籍や雑誌等に定価販売が認められるとしても、いわゆる非再販本として販売することは可能である。しかし、現在殆ど行われていない。)。しかし、この露店では「一見」新刊雑誌が半額近い「百円」という値段で販売されている。この定価販売の国でなぜそれが可能なのだろうか。この「商品」の流通経路は一体どうなっているのだろうか。

ご存知の方も多いのではないかと思われるが、この百円雑誌露店、実はホームレスが駅のごみ箱から拾ってきたものを再び販売しているのである。最近の「新文化」(出版関係の業界紙)の記事によれば、こうした露店が山手線の駅周辺にあるものだけでも約二〇ヶ所にのぼり、全体で月に推定四千万円の売上げを上げているという。こうした露店そのものは以前から存在していたというが、ここ数年増加した原因はごみの分別収集にあるといわれる。この分別収集のおかげで他のごみに汚されることなく雑誌をごみ箱から拾い上げることができるようになったのである。

筆者もしばしばこの百円露店で雑誌を買うことがあるが、ここで売られる雑誌はゴミだったということを感じさせないほど通常の雑誌とは変わらない。発売の日にすぐに店頭に並ぶし、しかも安い。駅付近で売られることが多いので、電車の中で読もうとついつい通りすがりで買ってしまう。多くの人がゴミであったことをうすうすとは感じているのだろうが、抵抗感がない。またごみ箱に捨てるのだからという心理も働いている。

書籍・雑誌は、ともに価格が下がることによって需要が伸びることはなく、市場メカニズムになじまない商品であると主張されることがある。たしかに一般的にはそういえるのかもしれない。しかし、大量に売れる雑誌は必ずしもこうした性格を有するとはいい難いし、価格が硬直的であることがこうした隙間市場を創り出しているとはいえないだろうか。いずれにしても、「消費される文化」という言葉がぴったりくる現象のような気がするのである。


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