先日、研究室の本棚を整理していて、長い間、積ん読(つんどく)のままだった本が、ひょんなことから目にとまり、一気に読み終えてしまいました。『賭博と国家と男と女』、この本のタイトルです。著者の竹内久美子氏は大学で動物行動学を専攻していたというだけあって、人間の本性に関わる問題を、たいへんユニークな視点から、しかも軽妙に語っておられます。とりわけ、筆者の関心を引いたのは「君主の胴元起源説」という一節でした。
彼女は、ここで賭博無しには国家(とりわけ君主国)の成立はあり得なかった、というユニークな国家成立のストーリーを紹介しています。そして、次のような重要な事実を指摘します。モナコは言うに及ばず、英国やスウェーデンにおいては、民営賭博が完全に合法であるということ。また、タイの賭博はその種類と多様性において他国を圧倒しているということ(闘鶏、闘魚、闘蟋といった小動物を闘わせるものが多数あるそうです)。
では、大統領制をとっている米国はどうでしょうか。カジノで有名なラスベガスがあるので、完全に自由だと思われがちです。でも、どうも本当のところは、州のほとんどが賭博に対し厳しい姿勢をとっているのだそうです。
彼女はこれらの事実から一つの法則を見出します。賭博と君主制の「相性の良さ」。少なくとも君主制の国においては、賭博が廃止されていないという事実。王様が賭博を仕切るということは、彼が人間と神様との仲介者であることを示す格好のデモンストレーションでもあるのです。むかしから、国家は賭博から多くの財源を得てきました。いわば胴元の胴元、それが国家なのです。
このことは、「現代の」わが国の法制度にも表れています。皆さんは、街角のスタンドで「宝くじ」を買いますね。「夢を買う」と称して…。宝くじは、「当せん金付証票法」という法律に基づいて発売されます。原則として都道府県そして一二の政令指定都市が発売元となり、自治大臣の許可の下、委託先の銀行等を通じて販売されるという仕組みになっています。この法律は、戦後すぐの昭和二三年にできた法律で、目的規定を見ると戦後の疲弊した地方財政を何とかして復興し、好転させようという意図を読むことが出来ます。―この法律は、経済の現状に即応して、当分の間、当せん金付証票の発売により、浮動購買力を吸収して、もって地方財政資金の調達に資することを目的とする―とあります。「当分の間」というのが曲者です。何せ「当分の間」で、五十年以上もやってきたのですから…。でも、可愛い面もあります。立法当初は、国民の射倖心を当てにして、そしてそれを煽るような方法で、財政資金を獲得しようとすることに、やはり良心がとがめたのかもしれませんね。控えめな規定振りです。微笑ましくも思えちゃいます。
「賞金(当せん金)」の金額の総額は、宝くじの発売総額の五割を超えてはならないと法律に書いてあるわけですから、国民が宝くじを購入した金額の半分は、諸々の手数料に使われるほかは、きっと地方財政に役立っているんでしょう。
「経済の現状の即応して」、賞金の最高限度も上昇しました。いまでは、原則として宝くじの金額の二十万倍、でも、場合によっては百万倍、二百万倍まで可能になりました。国家が財政資金を獲得するためには、税金の引上げを決定するよりも、賞金の額を引き上げるほうがウンと楽ですね。むかしのような「後ろめたさ」は一体どこへ行っちゃったんでしょう。どうです、「夢」から覚めましたか?