タダより高いものはない!?−「タダ」であることの法的意味


きょうは、タダであることの法律的意味について考えてみることにしましょう。どうもわたしたちは、タダという言葉に弱く、ついタダでもらうとすごく得をしたと考えがちです。景品(オマケ)の提供からソフトウェアの無償配布まで、わたしたちのまわりにはタダで行われる取引がたくさんあります。でも、そのときに生ずる法律関係についてまで思いをめぐらすことは案外少ないようにも思えます。

わたしたちが生きていくためにはさまざまな物やサービスを手に入れなければなりません。多くの場合、お金を払って必要な物などを買ったり借りたりしまね。でも、上の例のようにタダでもらったり借りたりする場合も結構あります。「売ったり・買ったり」する場合と、「あげたり・もらったり」する場合とでは、一体何が違ってくるのでしょう。

ある人から何か物を譲ってもらったとしましょう。常識的に考えて、わたしたちがその人から物を譲ってもらう際にお金を支払った場合と、支払わなかった場合とでは、どちらにいろいろな要求をできると思いますか。そりゃ、お金を支払った場合ですよね。だって、タダでくれるっていうのに、いろいろ文句をいえますか。よっぽど図々しい人でない限り、くれるっていうんだからちょっとは遠慮しますよね。民法もちゃんとそのように規定しています。

買った人・もらった人が、売った人・あげた人に対してどのようなことを要求することが出来るのか、逆にいえば、売った人・あげた人が相手方に対してどんな義務や責任を負うことになるのかというところに、この違いは現れてきます。売ったり・あげたりしているわけですから、当然、その物に関する権利(所有権・財産権)を相手方に移してあげなければなりませんね。これは、お金を払おうが払うまいが同じことです。

でも、売った人の場合は、相手に対し取引の対象となっている物にキズがないことを保証しなければなりません。つまり、その物に問題があったら、買い主は、その契約を解除したり、ちゃんとした物の提供を求めたり、損害賠償を求めることができます。それでは、タダでもらった場合はどうでしょうか。この人は、原則的としてこういった要求は出来ません。

ここまでいえば、次のような例の法的違いを見出すことが出来ると思います。たとえば、喫茶店でコーヒーを注文しようする場面を想像してください。「コーヒーを一杯飲む方にもれなくクッキーをお付けします」という場合と、「コーヒーとケーキのセットで千円です」という場合は、コーヒーについて取引しているということができるでしょう。しかし、クッキーはタダでプレゼントしていますが、ケーキはコーヒーと一体となって取引されています。つまり、ケーキを買ったということになります。もし、クッキーが古かったり、シケッていたりした場合、喫茶店の主人は親切心で(というよりこんなことをすると街で評判が悪くなるので…)、これを取り替えてくれるでしょうが、法律上要求することは原則として出来ません。タダでもらうということは、このようなリスクを受け入れたということなのです。

ここまで述べてきても、もしかすると、まだ納得いかない方がおられるかもしれません。クッキーの例もケーキの例も、コーヒーに何らかの物をつけて取引し、結局は買い主にそれらが移っているわけで、経済的・現象的にはちっとも違う点などないじゃないか。また、こんな主張も出てくるかもしれません。わたしたちは、何もコーヒーのみについてお金を払っているわけではない。そのお店の雰囲気、心地よい音楽そして主人との語らいを含めてお金を支払っているのだ、と。でも、コーヒーという取引の客体となる物を特定し、その当事者(売り手・買い手)の間に権利・義務関係を作り出し、それらを媒介として取引を規律していくのが法律なのです。「法的な考え方」というのは、このように諸々の考えられうる現象の主要な面を切り取って権利・義務という単純なかたちにして理解し、考えて行くことでもあるのです。こう考えると、クッキーの例とケーキの例は、まったく違っているということがわかりますね。


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