茶の湯との関わりについて


北海道のほぼ中央に位置する芦別という街で私は育った。家は商売を業(なりわい)としていたが、曾祖父や祖父はこの土地に開拓のために入植して以来、一貫して農業に従事していた。家族や近隣の人々と協力し合いながら、水路を引き、耕地を広げ、現在の街が出来上がった。このような風土のせいか、私が育った家や街には、勤勉で質実剛健な精神と肉体を持つことが第一義に考えられ、知的営為、伝統や文化の継承などは二の次といった雰囲気が少なからずあったように思う。

中学卒業後、故郷を離れ、函館で高校時代を過ごし、大学進学のため東京へ。函館や東京は、いずれも故郷とは比べものにならないほど、歴史や文化に触れることができる土地柄であった。文化財や歴史的建造物を見るにつけ、人間の知的営為がいかに偉大なものであるかを感じ、そうした文化や伝統を伝承していくことも、われわれが担うべき役割だと考えるようになった。

大学では、縁あって書道、特に仮名書道を中心に創作・研究に励んだ。作品を仕上げるばかりではなく、古く平安の昔の古筆を訪ね、その世界に心ゆくまで浸るのが楽しくもあった。しかし、書の師匠の死、大学院進学によって、このような世界からしばらくのあいだ離れて過ごすことになった。ひたすら法律学の研究を進めていたが、数年前に縁あって大学の教員として、さらに研究を深めていくことになった。

ちょうどそれと時を同じくして、知人の紹介を通じ岩瀬先生と出会った。知人曰く「作法をあれやこれや無理して頭にたたき込まなくてもよい。時間とともに自然に身につくものだから。むしろ、茶の湯の持つ高い精神性、文化性を師匠の背中を通じて感じて欲しい」と。茶の湯の有するその深い文化・伝統の継承の一翼を担うことができると同時に、しばらく離れていた書道に続く私にとっての修養の機会を与えられたことに喜び、数年前から稽古に通うことにした。

どのくらい私が知人の意図を認識し、先生から学びとっているか未だつかめずにいるが、稽古の時間は、私にとって単にさまざまな作法を学ぶ場というだけではなく、自らの専門である法や制度の問題に思いを巡らし、さまざまな社会の問題に対する思索を行う場でもある。茶の湯は、高い精神性に裏付けられた人間の知的営みであり、しかもそれが生活全般を包含している。だから、茶道に接する人それぞれに、その人なりの生活があるように、また解釈もあるように思う。いま、私は大学で法律学を講じ、人間が作り出す秩序について考えさせられることがあるが、人間社会における秩序の在り様も、人間の知的営為たる法律や制度・慣習によって成り立っているわけで、茶の湯に見られる作法ないしそれに基づく行動の在り様とそれとの間には興味深い近似を見せている。このように、現代における法や制度を考える際のヒントやインプリケーションが、茶の湯の中に見出だされることもしばしばで、茶席で偶然のひらめきに出会うこともまた少なくないのである。


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