ライフステージと"まちづくり"


多摩ニュータウンの真ん中にある大学に毎週一回出かけるようになって、この10月で4年目。住宅地にある大学から最寄りの駅まで歩いて25分ほどあるのですが、その道のりを歩いて帰ることもしばしばあります。

丘陵地帯に広がる住宅地は、一戸建住宅や集合住宅が整然と続いています。公園や緑地も計画的に配置され、お昼間にのんびり散歩するには本当によい環境です。また、確かに駅まで歩いていくには離れていますが、身近に商店街などもないわけではありません。

そんなことだから、この地域の住宅の数、人口そして環境などを考えると、さぞ商店街は栄えているのだろう、学校も子供たちの声でいっぱいだろうなどと、わたしは勝手に想像していたのでした。しかし、実際に歩いてみたその光景は、まったく異なったものだったのです。商店街は広場を取り囲むかたちで商店が並び、いかにも計画されデザインされたという感じがします。ところが、お店をのぞくとお客さんは少なく、魚屋さんの威勢のいいお兄さんの声ばかりが響いてきます。昼間子供づれで歩く大人はおらず、むしろ定年後をのんびり過ごす老夫婦にしばしば出会いました。放課後でも、近くの小学校などに子供たちの影は少なかったように思います。

外観は、地形を活かしながら、 美しい住宅地として造成されているとの印象を受けるのですが、それとは不釣り合いなくらい、活気というものが感じられないのです。小さな子供が走り回っているだけでも、にぎやかなものなのに。わたしのこうした印象は、必ずしも的外れではないことを、最近の新聞報道や雑誌の記事などで知りました。いわゆる「ニュータウン」の少子・高齢化問題です。この地域の小学校などの統廃合、そしてこれらの施設のコミュニティセンターとしての活用、購買力の低下に伴う商店の魅力の低下と廃業問題などなど。

ここで見えてくるのは、ライフステージと"まちづくり"の関係をめぐる問題です。

大規模造成の新興住宅地に住む人は、どうしても同じ収入レベル、同じ年齢・世代、さらには同じような家族構成になりがちです。そうなると、さまざまなブームが一気に訪れ、必要とされる施設やインフラが集中します。しかし、そのブームが去ってしまうとせっかく作った施設やインフラが無駄になることも少なくありません(もちろん、ここでは生活に必要なインフラというよりも、学校や老人ホームといったライフステージごとに必要とされるモノについて述べています)。

この問題を解決するためには、二つの方法が考えられます。一つは、世代ごと収入ごとに住む地域を分け、ライフステージごとに移転することを前提としたまちづくりをしていくこと。いま一つは、新規に宅地を造成するときには、世代・収入のバランスを考えてまちづくりをしていくことです。定住傾向が強いわが国においては、一部の都心地域を除き、後者の方が一般的に妥当しそうです。そして、勤労世代、高齢者そして子どもが、常に関係を持ちながら生活している街の方が健全であるような気がします。

通勤途中、電車の車窓から、さらに大規模な住宅地の造成が見えます。今度はどのような街が出来上がるのでしょうか。


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