最近、某テレビ局で「○○鑑定団」なる番組をやっているせいもあってか、なんだか古美術品や骨董品がとっても熱い。もしかすると、あなたの家の物置の奥にも、一度も開けたことがないような先祖伝来の「お宝(!?)」が眠っているかもしれません。また、皆さんの中には、そんなお宝を見つけ出してはその値打ちについてひそかな期待を抱いている御仁(ごじん)も多いのではないでしょうか。この番組にときどき出演している某大学文学部の某教授が講ずる「古文書学」には、朝早くにもかかわらず、絶対に大学生とはいえないような方々が最前列で受講していることを見ても、このブームの幅の広さを証明しているといえるかもしれません。
このようなブームの真っ最中ですから、読者の皆さんの多くが「蚤の市」、骨董品屋やアンティーク・ショップとかに一度は足を運んだことがあるのではないでしょうか。
街の骨董品屋さんの看板に「古美術商」とか「古物商」なんて書いてあると、なんだかとても偉そうな感じがしますね。「いい仕事してますねぇ」なんていっている人と同じくらい(?)、まぁ、そこまでいかなくてもそれなりの鑑識眼を持っている人だとどうしても思ってしまうのが人情です。だって、プロなんですから…。そうです、たしかにプロなんです。
でも、わたしたちは、意外な事実を知りません。「古美術商」を名乗り、骨董品屋さんを開業している人の「資格」について…。
わが国では、骨董品屋さんを始めようとする場合、「古物営業法」という法律に基づき公安委員会から営業の許可を受けなければなりません(その前に、管轄の警察署に書類を提出することになるでしょう)。そして、「古物商」として許可を受けた人は、美術品を買いうけた日や売った日、その品の特徴などなどを帳簿にきちんとつけて管理しなければならないのです。というのも、実は、この法律、盗まれた物品が、転々流通することを防止したり、それらの早期発見のために作られたものなのです。だから、美術品を取引した日時、特徴などを古物商に管理させ、その帳簿等を警察が監督するといった手法を採っているわけなのです。
それでは、当局から営業の許可を受け「古物商」となる「素養」って、一体何なんでしょう。法律はいいます。「…破産者…禁固以上の刑に処せられ(た)者…住居の定まらない者」などは「公安委員会は…許可をしてはならない」と。さぁ、これで、皆さんも明日から「古美術商」です。そう、法律上許可の要件は形式的であり、いわゆる「素養」のようなものは必要ないわけです。つまり、「鑑識眼」についてのレベルが問われることはないのです。
当然といえば、当然ですよね。だって、公安委員会(ないしは警察)に鑑識眼のある骨董品屋とそうでないのとを見分ける能力などあるわけがないし、法律も鑑識眼の評価なんてはなから相手にしていません。要件に合致したら形式的・機械的に許可をする。「素養」とか「鑑識眼」といった実質的な判断をする権限を当局に認めてしまったら最後、穿(うが)った見方をすれば、当局の言うことを聞く骨董品屋には許可を与えてそうでないところには不利な扱いをするかもしれません。
したがって、骨董品屋に関してミシュランのように格付けをするのは、わたしたち自身の「鑑識眼」であり、それが骨董品や美術品の取引の妙味を生み出しているといえるでしょう(次回は、こういった取引の「妙味」とそれに付随して生ずる法的問題について考えていくことにしましょう)。