クリスマスが近づいてくると、街はいろいろな飾り付けがなされます。特にさまざまな電飾に灯が燈る夕暮れから夜にかけては本当に華やかです。こうした演出によって、何かと忙しい師走の雰囲気が、少しでも和らげば、それはそれでよいことなのかもしれません。また、ここ数年、巷では光による演出が注目を集めています。いわゆる広告のためのネオンライトの類はこれまで無かったわけではありませんが、さらにビルや橋などを光によって照らし出すライトアップなども日常的に見られるようになりました。
東京、とりわけ高層ビルに囲まれた都心を歩く人々の視点はまさに身の丈です。ちょっと見上げたところで視界に入るのはビル。ですから、建物や街路の演出は不可欠ということになるのでしょう。このように、人は「身の丈」でモノを考えますが、面白いことに自らの「身の丈」が変わっても、視点は全く変わっていないということがしばしばあります。
副都心を中心にますます増加する一方の高層ビル、その最上階。わたしたちは「身の丈」がこれほどまでに変わっているのに、見ている先は眼下に広がる街並みです。夜景といえば、光り輝く街並みを見ることと同義です。
ここで、わたしたちは何かに気付かなければなりません。そう、わたしたちは夜に星空を眺めることを諦めているのです。
夜空の明るさが自然光よりも相対的に明るくなり、星が見えにくくなっている現象。この原因には、都市化、交通網の発達による屋外照明の増加や照明の過剰な使用などがあげられています。これを光害(こうがい・ひかりがい)と呼んでいます。この問題は、何も都心ばかりではなく、かなり広範囲に認められており、岡山県美星町では、平成元年に条例(「美しい星空を守る美星町光害防止条例」)を制定し、全国に先駆けこの問題への対応を行っています。
いまだ美しい夜空を享受し得る美星町とは異なり、一種の「諦め」を余儀なくされた都心においては、より広義に光害を考える必要があるように思われます。照明の不適切な使用や過剰な使用は、ときとして信号などの重要情報の認知力を下げ、農作物や動植物へ悪影響を及ぼし、また眩しさなどにより人々を不快にさせることもあります。日々の生活の中で、わたしたちが感じる「光害」は、むしろこれらの点についてでしょう。
ここ数年、観覧車ブームが続いていますが、私が住んでいるところにも大きな観覧車が設置されています。この大観覧車は夜になるとイルミネーションで彩られます。存在だけなら、それほどこの問題に関心をもつことにはならなかったかもしれません。しかし、かなり遅くの時間まで、繰り返しさまざまな色の光線が点いたり消えたりしているのは、光というものにそれほど不慣れではないわたしたちにとっても、かなりの違和感を感じざるを得ません。通常の光とは異なり、点・消灯が繰り返され且つカラフルな光であるため、カーテンやブラインドをしていても、サッシなどに反射して入ってきてしまいます。環境庁は、平成十年に「光害対策ガイドライン」を策定しているということですが、その基準及び実効性については、どの程度信じられるものなのか疑問を呈せざるを得ません。