「デジタル・デバイド」という言葉がにわかに注目を集めています。先ごろ行われた沖縄サミットにおいて、この問題が取り上げられたことは記憶に新しく、また、今年度版の経済白書においてもこの問題が指摘されています。
家庭やオフィスへのコンピュータの普及、そしてインターネットの利用が一般的に拡大するにつれ、こうした機器やサービスを「使うことができる人」と「使うことができない人」との間に「デジタル・デバイド」(情報の格差)が生じてくる。このようなことの成り行きは、以前から予測され指摘されてきたところでした。ただ、ここで「使うことができる」ないしは「できない」ということには、能力的な問題と経済的な問題の二つを含んでいます。前者は、いわゆる情報リテラシーの問題(使う技術を有しているか否か)、後者は所得格差の問題(情報機器を購入できるか否か)です。これまで、わが国では「情報難民」――有意な情報にありつけずにいる人々――という言葉にも現れているように、この問題はリテラシーの問題として多く語られてきました。
他方、「デジタル・デバイド」の母国?、米国では当初「持てる者("Haves ")」と「持たざる者("Have Nots")」と表現され、1995年から公表されている商務省レポートでは、一貫して、年齢・人種・居住地域・収入・学歴・家庭環境の「経済的」格差を問題としています。
最近ではわが国でも、デジタル・デバイドを「所得の格差などによって情報格差があること、またそれが更に所得格差を拡大していくこと」(経済白書)ととらえ、経済的側面を強調し、情報格差がさらに所得格差を生み出す関係をも指摘するようになりました。この背景には、今年5月に公表された野村総研レポートのような事情があるのかもしれません。このレポートは、全国15歳〜59歳までの男女2000人を対象とし、年に二回ずつ行われているものですが、七回目を数える今回の調査では、全体として世帯収入が低迷しているにもかかわらず、パソコン保有世帯の年間収入が上昇に転じ、他方、非保有世帯では減少する傾向がより強く出ているといういささかショッキングな内容が報告されています(野村総研「情報通信利用者動向の調査」)。米国でも、最近の商務省の調査において、ここ一年、学歴・収入を主な要因としたデジタル・デバイドが拡大していることが報告されています。
もともと高収入があるから、コンピュータ等の情報機器を購入することができるのか。これらの機器を購入しさまざまな情報を得ることができるから、高所得が得られるのか。まさに鶏卵問題の様相を呈し、これらの調査からその原因・結果を見出すのは容易ではありません。ただ、この現実からいえることは、情報機器を使う技術的能力、つまり情報リテラシーの有無の問題(情報難民問題)から、次の段階の問題――国民間の所得格差の問題に重点が移ってきているということです。