2月14日、深夜テレビで国連安保理のイラク査察追加報告を見ていた。何番目かにフランスのドビル
パン外相の演説があり、「査察団は成果をあげている。イラク攻撃を急ぐ理由はない」と米英の方針に
反対を表明すると、期せずして会場から拍手が湧き上がり、その後のアメリカ・パウエル長官の熱弁に
は、誰も拍手をしなかった。
そして、翌15日の「世界同時行動日」[1]に、オーストラリア、日本、東アジア、中近東、ヨーロッ
パ、アメリカへと続く全地球規模の反戦デモが展開された。朝日新聞の報道によると、デモの参加者数
は、オーストラリア15万人、ベルリン50万人、ロンドン100万人以上、パリ20万人、ニューヨーク35
万人、サンフランシスコ25万人で、ベトナム戦争時を上回る史上最大規模となった。
私も、イラクのフセイン大統領を支持しないが、だからといって、大国の一方的な判断に基づいて、
「危険な国」であればその政権を武力で転覆させ、「攻撃を受ける危険」があれば先制攻撃を行うとい
うブッシュ大統領の論理を絶対に認めるわけにはいかない。この論理が通るなら、将来、日本に、アメ
リカにとって都合の悪い政権が誕生したとき、アメリカは武力によってその政権を転覆させてもよいこ
とになる。だから、ドビルパン外相の発言や翌日の大規模な反戦デモを見て、「いまだ民主主義は死な
ず」と胸をなでおろしたのである。
ところで、どの国においても、大学生がこの行動の一翼として重要な役割を果たしたと予想されるが
、日本はどうだったのだろう。15日に行われた渋谷の集会の参加者は、わずか5千人である。その中に
大学生は何人いたのだろうか。もちろん、デモに参加すればよいと言うものではないが、私は、民主主
義とは、権力に対する健全な批判勢力があり、両者の緊張感の中でこそ発展していくものだと考える。
そして、いつの世も、その中心となるのは若者たちである。この集会参加者の落差に、欧米先進国と日
本の、民主主義の成熟度の落差を感じ、日本の将来に不安を感じたのは、私だけだろうか。
私は、1960年代に学生生活を送ったのだが、当時は、労働運動に「総評」、学生運動に「全学連」、
平和運動に「日本原水協」や「ベ平連」という組織があり、活発に活動していた。もし、当時、同じ問
題が起きていれば、2月15日には、東京で少なくとも数万人規模のデモが展開されていたはずである。
1970年代の初め、一部の急進的な学生によって「東大安田講堂事件」、「三菱重工ビル爆破事件」
そして「浅間山荘事件」、「よど号ハイジャック事件」へと続く過激な行動が繰り返され、学生運動は
、学生からも国民からも支持を失った。いまや、慶應義塾大学には、一部を除いて自治会すら存在しな
い。一方、労働運動は、1973年の「オイルショック」を契機とする政府・財界一体となった攻撃の前に
すっかり戦闘力を失ってしまった。
その結果、政府や経営者は、格段にやり易くなったに違いない。“オイルショック”後の1975年大不
況の時には、うなぎの養殖やかいわれ大根の栽培まで行って何とか雇用を守ろうとした民間大企業が、
今は、簡単に社員を解雇し、賃金の引き下げまで提案している。しかし、ストライキは起こらない。
マスコミのアンケートによれば、国民の70%以上が反対しているアメリカのイラク攻撃に対し、18日
の安保理公開討論会で、原口国連大使がアメリカ支持の演説を行ったが、大規模な反対運動は起こらな
い。おそらく、このような国は、先進国の中で日本だけだろう。
この度退任した韓国の金大中大統領は「フォーリン・アフェイアーズ」誌との対談の中で、「ソ連の
崩壊を社会主義に対する資本主義の勝利と言う人が多いが、それは間違っている。これは、官僚主義・
独裁主義に対する民主主義の勝利であり、近代社会においては、民主主義こそが発展の原動力なのであ
る」と言っている。この20年間を振り返ってみるとき、我が日本は、民主主義のみならず、政治・経済
面においても、到底、それ以前より発展のテンポが速まったとは言えないと思うのだがどうだろうか?
昨年私の研究会にスペイン生まれ、スペイン育ちの女性がいた。卒業時に、「日本の学生生活で一番
強く感じたことは何か」と聞いたら、「日本の学生は、なぜ政治の話をしないのか」という答えが返っ
てきた。普段、どちらかといえばおとなしい人であり、米国会計士を目指して頑張っていた人なので、
意外な感じを受けたのだが、日本の大学生は、政治意識の面で、“国際標準”からかけ離れているとい
うことなのだろう。
慶應義塾の学生は、社会に出れば好むと好まざるとに関わらずエリートとみなされ、将来、日本の政
治・経済を担う中軸として活躍することになる(そうならなければならない)。その学生が、こんなこ
とでよいのだろうか。知識を身に付けることはもちろん重要だが、併せて政治的な感性を養い、この社
会を一歩でも二歩でも前進させるような学生に育ってほしいと願いつつ、可能な限り学生との対話を増
やす努力を続けているのだが・・・・。
[1] 2001年9月11日のニューヨーク「世界貿易センタービル」に対するテロ攻撃を機に、イギリスで「戦争を止めよう
連合」という組織が生まれ、インターネットを通じて国内外のNGOや反戦グループと連絡を取りながらデモを繰
り返し、全世界のネットワークを形成した。このネットワークが、昨年11月に、2月15日を「アメリカがイラク攻
に踏み切る直前の日」と予想し、「世界同時行動日」に設定していた。(朝日新聞の報道による)