[お台場日誌]


2001年08月17日記

夏になると楽しみなのは、実家から送られてくるメロンである。しばらく前に届いたのだが、食べごろになるまでやや時間がかかる。食べごろは、メロンの尻の部分が手で押して少しへこむくらいに柔らかくなってからだ。わたしの故郷は、あの有名なメロンの産地、夕張と隣り合っている。山一つ越えると夕張である。だから「夕張メロン」とは言わない。しかし、品質面でも遜色ないメロンが取れる。

夕張メロンといえば「赤肉」というイメージがあるせいか、関東では赤肉が人気らしい(ちなみに関西では青肉が売れるという)。今年は、赤肉の方を送ってもらったが、好みを言えば、わたしは青肉派である。赤肉は、熟すのを見極めるのが難しい。じっくり待ちすぎたがゆえに、甘さを通り越して舌にビリビリくる位まで熟してしまうことも少なくない。また、何より青肉の方がメロンらしいではないか。

台所の片隅に置いておくと、だんだんいい匂いがしてくる。そうなると食べごろである。早速、冷蔵庫に入れ、キンキンに冷やしてから食べる。そのみずみずしさが口に広がった時、幸せの瞬間である。エアコンを入れたことがないわが家ではその喜びはひとしおである。

夏といえば、スイカだという人もいよう。しかし、わたしがスイカよりメロンを好むのは、その高級感からではない。その基本的性質に由来する。そう、種の存在形式の差である。メロンは種が中心部に集中し取り除くのにそれほど苦労しないが、スイカは種が身の中に散らばっており、食べながらそれを避けるのは面倒だ。スイカにメロンのようになれとは言わないが、せめてイチゴのように外側に種がついてほしいものだと真剣に思っている。おいしさとそれに至るまでの苦労とを比較して、その苦労があまりに高いものは、「何もそこまでして」と思ってしまう。その点、蟹も同じだ。

よく嫌いな人と食事に行く時は、カニ料理がいいといわれる。蟹を食べるのに夢中になるから、しゃべらなくていいからだ。しかし、その手はわたしには通用しない(どうでもよいはなしだが)。


2001年08月02日記

連日、東京はたいへんな暑さである。30度を超えるのは当たり前。下手をすると35度を超える日もしばしば。わが国は温帯だと地理で習ったが、どうも熱帯か亜熱帯に属しているのではないかと疑いたくもなる。その証拠に、夕方を過ぎると気圧が不安定になり、スコールみたいな強い雨に出くわすことも少なくない。

こんなに暑いと世間が騒いでいるのに、わが家では今年になって一度もエアコンのスウィッチを入れていない。妻の騒ぎようを見ていると、やはり暑いのかもしれない。しかし、わたしはどうかといえば、今年はそれほど暑く感じないのである。もちろん、研究室はエアコンがささやかでも効いているし、原稿書きに追われているので、外に出る機会はそれほどない。朝の涼しいうちに出かけ、夜涼しくなってから帰る。だからであろうか。

先日、山手線に乗ってふと思った。最近、あちらこちらの建物、冷房があまりにも効きすぎていないだろうか。そりゃ、熱い外から汗をふきふき涼しい建物や電車に入ってくれば、生き返った心地がするだろう。しかし、このギャップがあまりにも大きい。人間、走り回っていれば汗も出てくるが、静かにしていれば、温度がそれなりに高くてもあまり暑くは感じない。体が自然にその部屋などの温度に慣れていく。外気の温度に慣れる暇なく、極端から極端に行ってしまっては、体も休む暇はないだろう。

最近、涼しさを得る場所が街に溢れ、それに応えるかのように、わたしたちは安易に涼しさを得てはいないだろうか。

わたしは、最近、わが国を亜熱帯だと思い込み、極端に涼しいところに行かないようになったら、いつのまにかあまり暑いと思わなくなってしまった。


2001年07月28日記

昨日(27日)、お茶のお稽古の為に実家に帰っていた妻が今日になって戻ってくることにしたというので(ほんとは日曜日まで実家にいる予定だった)、久しぶりに外食も良かろうと思い、横浜まで迎えがてら、待ち合わせをして食事をすることにした。

夕食を終え、横浜から品川まで電車に乗り、そこからバスで台場まで帰ることにした。品川駅東口から本数は少ないが、東京テレポートまでバスが出ている。この路線は、当然ながら、レインボー・ブリッジを渡って台場に向かうわけだが、ふと街の帳に目を向けると高いビルの間から花火が上がっていることに気付く。今日は、隅田川の花火大会だ。

わたしは、花火は嫌いではないが、人ごみの中で見るのはちょっと気が引ける。ちょうど、わが家のバルコニーの方向は浦安方面。ちょっと、左側をみれば花火大会を見ることができるかもしれない、ということで、大急ぎで帰宅した。案の定、次々と上がる花火はちょっと小さめだが、ちゃんと見ることができる。毎晩8時半から始まるディズニーランドの花火よりも幾分大きい。

先客がいた。隣の家のバルコニーで子どもが花火を見てはしゃぐ声が聞こえる。隣の子はいつも花火をみるとうれしそうに手を叩き、「おみごとー」と叫ぶ。窓を開けていると、このかわいらしい声が聞こえてくると、わたしたちは花火が始まったことを知る。わたしたちは、思わぬこの夏の風物を、しばし堪能した。

ちなみに、8月11日は、東京湾岸花火大会。よく台場に住んでいると、「いいですね。花火大会が間近に見ることができて」といわれるが、そんなことはない。たしかに晴海ふ頭はすぐそばだ。しかし、わが家の向いている方向は浦安方面で、残念ながら、この花火大会をわたしたちは自宅で鑑賞することができない。


2001年05月31日記

「おちまさと」という人物を知っているだろうか。若手放送作家の一人で、数々のバラエティーなどを手がけている男がいる(詳しくはこちら=>おちまさおのHomePage)。たとえば、わたしが毎週欠かさず見ている"ぷっすま"もこのおちまさとがプロデュースしている。まぁ、それはどうでもよいとして、ついこの前まで、彼は「仕立て屋工房」という番組を深夜にやっていた。この番組の趣向というのは、どうも、いくつかの若手デザイナーのグループに課題を与え(ゲスト(顧客)からの仕立ての注文)、服を仕立ててもらい、顧客が気に入ったものを提案することができたグループに勝利の栄冠を授けるというものらしい。実は、最終回にこの番組の存在を知り、最終回しか見ていないのでよくはわからない。最終回には、作家の筒井康隆氏が顧客として登場し、タキシードを作るように依頼した。この求めに応じて、それぞれタキシードのコンセプトを提案し仕立てたわけだが、この回の優勝者は、"フューチャー・アイズ"という二人組であった。わたしも、彼らが提案したコンセプトが非常に"正しい"と思い、ひそかに応援していた。

最終回に当たって、この二人に更なる試練が課された。この二人に与えられた試練というのは、究極のTシャツを作ることであった。放送終了後、二人は究極のTシャツなるものをデザインし、これをインターネットで公開。500着以上の注文があったときにのみ、視聴者の発注を受け付け、生産を開始するという企画であった。

このセンスのいい若手をわたしはぜひとも支持すべきであると直感的に思った。

この番組を見たのも何かの縁である。だが、わたしはTシャツは好きではないし、めったに着ない(襟がないと落ち着かないのである)。というわけで、「わたしは着ないが、君が着ればよい」と妻のサイズでこのTシャツを注文することにした。

番組が終わって、しばらくたった4月の連休前、このTシャツの注文が500着を超えた。

どうも、たいへんな反響であったようで、このTシャツの生産が間に合わなかったようだ。わたしの家にそのTシャツが届いたのは、昨日のことだった。


2001年05月04日記

連休前半は鎌倉でのんびりしたが、後半は毎日研究室へ。書かなければならない原稿がいくつかある。連休中は、どうしても近所は騒がしくなる。ちょっと珈琲を飲みながら資料などに目を通すことができる喫茶店がなくて本当に不便する。だから、わざわざ都心の職場にまで足を伸ばすことも少なくない。

買い物客で混み合うメディアージュ。たまたま寄ったセガフレートは、ちょっと仕事をするにはちょうどいい空間を提供してくれる。禁煙席の一部は、吹き抜けから太陽の光が入ってきてのんびり仕事をすることができる。きょうは、午前中早い時間に出かけ、お昼過ぎまでいたせいか、とても空いていた。

本屋に行くと、いまカフェがブームらしく、いろんな本が出ているが、"コンセプト空間としてのカフェ"を提示する近時の風潮はいまいちいただけない。書斎としてカフェを利用したいわたしは、あまりにもモダンで幾何学的なデザイン空間では、どうしても落ち着かないからだ。


2001年04月22日記

きょうは、一日中、家で原稿書きをするつもりでいた。午前と午後2時くらいまでは集中してやっていたのだが、午後から近所に散歩に出かけた。Hanakoに出ていたというホテル・メリディアン内のベーカリーショップでチョコレートデニッシュを買いに行くのが、そもそもの目的であった。まぁこれはどうでもいい。チョコレートデニッシュがおいしかったかそうでなかったかは、すっかり忘れてしまった。

妻と散歩に出かけて一時間ほどした後、わが家に戻ってきて驚いた。干してあったはずのわたしの布団カバーがなくなっている。どういうことだ。折からの強風ゆえ、洗濯物が飛ばないように十分注意するよう出掛ける前に妻には言ってあった。他の洗濯物は大丈夫だったが、わたしのモノだけ飛んでいってしまった。ルールどおり、ベランダの中に洗濯物は干していたし、洗濯バサミの大きいヤツを三つもつけていた。

わが家は25階。眼下には高速道路と海。どう考えても、はるか遠くに飛んでしまって、とても見つけだすことはできないだろう、とわたしは端から諦めていた。

しかし、諦めきれない妻が、どうしても下に見に行ってほしいというので、仕方なくマンションの下にある広場や植え込み、となりにある学校、そしてグラウンドを調べてみた。すると躑躅の咲いている植え込みに薄いブルーの布団カバーがあるではないか。よくぞ遠くへ行かずここにいてくれた。そうっと植え込みからモノを取り出して思わぬ収穫に心を躍らせ家路についた。帰る途中、いくつかの浮遊の結果、この場所に不時着したモノが発見されたが、位置的にわがマンションの住民であることはどうも間違いないので、それらを拾い、マンションの玄関脇の棚に置いてから帰ることにした。


2001年04月21日記

東京ビッグサイトで19日から「東京国際ブックフェア」が開催されている。毎年行っており、招待券が来ているので散歩がてら出かけることにした。目的は、本の安売りである。学術書が新刊でも二割引で買うことができる。かつて、幕張でやっていた時は、まだわたしも大学院生でお金がなかった。その時から、ここでは意外な掘り出し物があったりして、それが結構楽しみでもあった。最終日などには持って帰るのも大変なのか、ほとんど投売りをしていたものである。ちょっと高い退職記念論文集などはこの機会に買っていた。

ここ数年、残念ながら欲しいと思う本はあまり出ていないが、電子書籍や電子出版の動向なども気になっており、それらを見るために足を運ぶことが多い。

きょうは、土曜日のせいか結構人が出ていた。出展者の顔ぶれもあまり変わってはいないが、岩波書店・中央公論新社は出ていなかった。東洋経済など社会科学関連書を物色したいと思っていたが、欲しい本がない。結局、未来社のブースで一冊だけ買って帰ってきた。毎年のことであるが、児童書のところでは、志茂田景樹が自分の絵本の読み聞かせをしている。身振り手振りを交えての読む姿は、あの独特の風体とは異なり、真摯に子どもの将来に目を向ける一人の文化人としての姿勢を垣間見たような気がした。


2001年04月13日記

久しぶりに外食した。お台場に住んで一年ほどになるが、一度も行ってないレストランがある。ODAIBA CAFE(*)。三笠会館が経営する店で、この地区では老舗になる。夜はちょっと高めで、ライブもある。「いずれ行こう」と思いながらきょうになってしまった。しかも、とりあえずランチから。

とてもリラックスできる店だった。プリフィックスのランチメニューから選んだが、どれもおいしかった。これから、お客さんがきた時には、ここでお迎えするのもいいねということになった。2300円のランチは十分すぎるくらいの量。サラダ、パスタ、メインそしてデザート。パンと珈琲つき。レディースランチは1500円で女性にはちょうどよい。この近辺の店と比べると確かに高めに設定されているが、ゆっくりのんびりとした午後を過ごすにはいい。

最後にオーダーしたティラミスは、パイ生地が挟んであるのがユニークだった。こんどは、ディナーを楽しみたいものだ。


(*)135-0091東京都港区台場1-3-5-105サンセット・ビーチ・レストラン・ロウ、tel:03-5531-2771


2001年04月01日記

最近、新聞をきちんと読むようになった妻から「きょうの東京新聞読んだ?すごいスクープ記事が出ているわよ」といわれ、わたしも熱心にそのスクープ記事を読んだ。驚いた。

ひとつは、先ごろなくなったご長寿双子姉妹のきんさん、ぎんさんにもう一人妹がいたという話。里子へ出され、戦前にブラジルに移民していたらしい。この方も先日亡くなったという。遺族が、大切に持っていた形見のお守りの中を調べたところ、里子に出した時に母親が本人の為に書いたメッセージが見つかり、それがきっかけで、きんさん、ぎんさんとの関係が明らかになったという。

もう一件。財務省と日銀がいまいち人気のない2000円の流通促進策として、2000円札を1900円で売るという政策の実施を検討中であるという。2000円札が使い勝手が悪く、あまり流通していないのは周知の事実。これに対応するために財務省と日銀は、国内、国外における貨幣流通史を検討。平安時代に流通促進策としてこのような政策をとったことがあるそうである。デフレ状況下において、量的緩和を行っている現下の金融政策にも親和的であるとして、こうした政策が実施されるとのことである。超低金利の昨今にあって、これは結構おいしい知らせだ。

これらの記事には本当に驚いた。こんな大事件なのに、比較的冷静な妻の対応を不思議に思いながら、さっそく問い合わせ、どこで交換してこようかな、などと具体的な対応を真面目に考えていた。

いたずらっ子のような顔をした妻が、新聞を指差した。そこには、「この記事はジョークです」との文字。

してやられた。


2001年02月24日記

毎日、慌しく過ごして来たので、きょうはのんびり過ごすことにしていた。午前中、ちょっとした来客があったが、夕方から夕食をかねて散歩に出かけることにした。日差しのあるお昼間と違い、夕方になるともっぱら風が強く吹き、日がかげるとすっかり寒くなった。

手軽に夕食を済ますべく、アクアシティ内にあるモンスーン・カフェ(*)に行った。大分前に代官山の側にある山手通り沿いの店に数回行ったことがある。ここには、いくつかのお気に入りメニューがある。

「牛肉とガパオ炒めフライドエッグご飯」(**)。わたしは、これが大好きである。ときどきこれを無性に食べたくなることがある。卵をくずしてかき混ぜてから食べる。牛肉がほんのり甘く味付けられているのがいい。もう一つは、パイナップル・ココナッツジュース。もともとココナッツジュースが好きだから。

モンスーン・カフェ、ラ・ボエム、ゼストそして権八。これらを統括するワールド・ダイニング・グループは、いま急成長の企業。社長の長谷川氏は店長レベルの社員に年収2000万円を保障すると豪語していることでも有名。それぞれ基本コンセプトが異なる店舗で構成されているが、その中でも他の外食と比べ、このグループが提案している店舗の中でそれなりに独自のモノを持っていると評価できるのは、このモンスーンだけ。他は若干パンチに欠ける。そういえば、セゾン総合研究所の外食産業に関する調査報告書によれば、ワールド・ダイニング・グループの展開する店舗は、もはやすべてファミリー・レストランと堕してしまったと評価していたっけ。


(*)モンスーン・カフェお台場店、tel:03-3599-4805、135-8718東京都港区台場1-7-1メディアージュ4階

(**)1200円。


2001年02月09日記

大塚家具の帰り、ちょっと遅い昼食を食べることにした。あいにく有明付近にいい店がないので、隣の駅「青海」のビーナス・フォートの中にある「木蘭(ムーラン)」(*)に寄った。この店は前にも入ったことがある。ただ、この時間帯のみの特別なメニューがあると聞き、この機会に試してみたいと思っていた。

注文するものは決まっていた。いわゆる坦々麺である。最近、痩せて肉が落ちたせいか、人並みに寒さを感じるようになった。そうなると、どうしても辛いものを食べて体を温めたくなる。

わたしは「四川風カラ味そば」(**)、そして妻は「マーボー豆腐ご飯」(***)を注文。いずれもランチの時間をはずした昼間の中途半端な時間帯にしか出さない料理である。どうも手間がかかるのでそうしているらしい。

坦々麺はごまの風味が利いていて美味い。でも、もっと気に入ったのは山椒の風味である。もともとわたしは山椒が大好きでこれなしに四川料理は語れないとさえ思っている。マーボー豆腐にも山椒は欠かせない。また、土鍋をしっかりと熱してから出てくるので、アツアツでしかも豆腐のちょっとこげた感じが香ばしくてマル。


(*)木蘭(ムーラン)、tel:03-5564-0231、東京都江東区青海1venusfort内

(**)900円。

(***)980円。


2001年02月06日記

一日置いて大塚家具(*)へ。東京ビッグサイト正門の駅まで240円。相変わらずゆりかもめは高い。こんなことならバスでくればよかった(**)。ご存じ有明の大塚家具本店ショールームは東京ドームの数倍。「来場の折には歩きやすい格好で来てください」との宣伝文句(!?)は嘘ではない。この面積で、移転まえの日比谷ショールームと同じ程度の家賃だというから驚きだ(***)。輸入家具も充実しており、選択肢が広すぎるというのも考えものだと、ついつい思ってしまう。

ただ、いつ引っ越すともわからない賃貸住宅の住人にとっては、目の肥やしにはなっても、こんな大きな家具をどこにおくのか悩んでしまう。わたしたちが、購入しようとしているテレビ台は、こんなに立派なものでなくたっていいのだ。

考えてみれば、大塚家具も成長したものだ。わたしが、大学2年のときから結婚するまで住んでいた大田区にも、大塚家具があった(いまはもうない)。この店には、一人暮らし向けの家具がリージナブルな価格で結構揃っていたのを記憶している。ここで、いくつか家具を買ったからよく覚えている。

もともとは春日部の業者だったそうだが(****)、規模拡大とともに「総合ライフスタイルデザイン企業」になってしまった。東京に出てきてから13年目を迎えたことを改めて実感。


(*)iDC大塚家具・有明本社ショールーム:135-8071東京都江東区有明3-1TFTビル東館内、電話番号:03-5530-5555(代)

(**)そうそうもっと安い方法がある。無料バスに乗るか歩いてパレットタウンまで行き、そこからゆりかもめに乗る手だ。これなら180円。どうだっ!!。ここまでくれば、隣の駅だし、さらに歩くという手もある。これなら0円。

(***)かつて新居の家具を選ぶ際にいろいろとお世話になった大塚家具の従業員のはなしである。

(****)同上。


2001年02月04日記

妻の実家から、新型テレビとビデオが届いた。ソニーのフラット画面の21型である。わが家の貧弱なテレビデオを見て、義理の両親は不憫に思ったのかもしれない。古いテレビは、わたしが独身時代から使っていたテレビデオで、BSチューナーも内蔵されていなければ、見ているテレビ番組以外のビデオを録画することが出来ない、など機能面でいろいろと不満の残るものであった。といっても、やっと最近になってビデオの操作を覚えたわたしにとって、新たな機械が入ったということは、また覚えなければならないことが増えたということである。難しそうなビデオの操作は妻に任せてしまおう。

さて、問題は置く場所である。これは、なかなか大きな代物でいままでの弱っちいカラーボックスの上には置くことが出来ない。テレビをのせる台を買わなければ…。というわけで、明日、有明の大塚家具に行くことにした。


2001年02月03日記

最近、お台場にラーメン屋さんがたくさんできてうれしい。前から、中華とともにラーメン店がお台場のニッチであった。お台場小香港に池袋の「光麺」が進出、都心でもう既にメジャーになっている「げんこつ屋」、そして京都から進出した「よってこや」。

京都ラーメン特有の幾重かにスープが層になっている。上のほうはマイルドでだんだん下に行くほど辛くなる。この公式は、三田にある「ますたにラーメン」、都内あちらこちらにある「天下一品」と同じ。

料金的にもリーズナブル(**)で無難な味。チャーシューが売り物だそうだが、すこし味が強すぎる。素で食べるのがベスト。


(*)135-0091東京都港区台場1-6-1デックス東京ビーチ・アイランドモール1F、tel:03-3599-6767

(**)屋台味ラーメン650円。


2001年01月30日記

きょうは、特に予定を入れていなかったので、午前中は講義の準備や試験の採点。午後から、妻と散歩に出かけた。この地域に住んで、まもなく一年が過ぎようとしているのに、この地域の名前の由来ともなった場所に一度も足を運んでいなかった。

「台場」。ご存知のように黒船来航の際、海を埋め立て砲台を設置したことからこの地名がついた。通常、「お台場」と呼び、丁寧に「お」をつけるのは、上様(将軍様)が設置を命じたものだからだそうだ。当時、「台場」は品川沖にいくつかつくられたが、多くは埋め立てられてしまい、現在残っているのは「第三台場」と「第六台場」。現在、公園となって、わが家から徒歩で行くことができるのは「第三台場」である。

砲台の跡のほかに、陣屋やかまどの跡がある。あとは、べつにこれといったものは何もない。アクアシティやデックスの賑わいとは異なり、人気のない場所である。もう少し暖かくなったら、花見にいいかもしれない。


2001年01月27日記

すごい雪である。午後から大学に行って試験の採点をしようと思ったが、妻に止められた。せっかくだから、きょうはゆっくりしよう。

今週は多忙を極め、連日終電帰りだったせいか、ドラマを録画したビデオがすっかりたまってしまった。毎日、欠かさず見ているのは「温泉へいこう2」である。TBS伝統の「愛の劇場」である。帰宅して食事をとりながら「温泉へ…」を見るのが、日課である。「かおる」役の加藤貴子のアニメ声がいい。インターネットのホームページ見たら、誕生日がわたしと四日違いというのも親近感を持った。昔、リップス(LIPS)というアイドルグループに入っていたそうだ。知らなかった。

そうそう、アイドルグループといえば、磯野貴理子さん、最近よく出ているが、こちらもアイドルグループ、チャイルズにいた。これは知っていた。ちなみに、わたしは日曜日の午前中、「遅く起きた朝は」を見るのが好きである。

あっ、これ、[お気に入り]に書くべきだったかな。

なんか、きょうの日誌、こわれてる。


2001年01月26日記

今日は、本務校の試験監督のため、午前8時ころには家を出た。あいにくの雨のなかを海浜公園駅前のバス停留所から浜松町行きのバスに駆け込んだ。めずらしくバスの中で無心になって文庫本を読んでいたのだが、レインボウ・ブリッジを越えたあたりからちょっと様子がおかしい。いつものバスのコースと違うのだ。

物騒なご時勢ゆえ「ドキッ」としたが、つぎの瞬間、こんな運転手の声がマイクを通して聞こえてきた。「すみません。浜松町までどうやっていけばいいんでしょう。はじめてなもんで。お客様の中でご存じの方いらっしゃいますか」。何てことはない、運転手が路線を間違ったのである。一瞬、乗客は皆、あっけにとられた。それを受けて、ある乗客、「運転手さん、このまままっすぐいくと、浜松町には着かないよ。左に入んなきゃ」。

というわけで、「日乃出桟橋」と「海岸一丁目」とに停車することのないバスは、浜松町駅前のバス停に着いたのだった。


2001年01月21日記

昨晩から今朝にかけ、ほんとうにすごい雪であった。近所の公園では、雪だるまが転々とできていた。

午後から、おやつ代わりに、この前『花まるマーケット』で早見優がやっていた、いま話題のデザート"coccia"(こっちゃ)を食べた。デックスIIの入り口付近にあるJ-pit(*)。アイスクリームをパンにはさんで焼くのがこのデザート(**)。パンは、パンには違いないけれど若干パンケーキの雰囲気がある。ふんわりとしたパンだから、アイスに熱がすぐに伝わらず、溶けずに焼けるのであろう。食感といい、味といい、ちょっとハマリそうな予感のするデザートである。


(*)135-0091東京都港区台場1-6-1デックス東京ビーチ・アイランドモール3F、tel:03-3599-6746

(**)一つ300円。バニラのほかにストロベリー、チョコレートなどもある。


2001年01月20日記

昨年12月にオープンした台場小香港。以前から、お台場地区は中華料理の店(*)があまりにも少ないと思っていたので、どんな店が出ているのか興味があった。きょうは、貼鍋餃子(**)が売りの西安餃子九龍分店(***)に行った。雪が降るくらいの寒い日。坦々麺が食べたくなったのも一つの理由。はじめての店だが、全体的評価はまぁまぁ。無難なところ。値段も飲み物込みで大体一人3000円程度であろうか。


(*)厳密には、中華といえないもののラーメン店も

(**)普通の餃子より大きく、春巻きに形状が似ている餃子。最近は、鉄鍋餃子として売っている店もある。いや、むしろこの方が多い。

(***)西安餃子九龍分店、135-0091東京都港区台場1-6-1デックスII6F、tel:03-3599-6865


2001年01月17日記

今日は江古田にある大学で、担当する講義の試験がある。午後からなのだが、天気もいいことだし、ちょっと早めに出掛けることにした。

空が晴れわたり、空気が澄んでいる。台場は都心に比べ、圧倒的に空が広い。こんな日は、駅までの道のりが恐ろしく短い。遠くを眺めながらボケっと歩いているので、最寄りのバス停まで気付かぬうちに着いてしまうのだ。

わたしは、毎日、お台場海浜公園に沿ってバス停までおよそ8分の道のりを歩いている。きょうは海のむこうに真っ白な富士山が見えた。ちょうど北品川の御殿山ヒルズの右側後方にある。ここに住んでもうすこしで一年になるが、富士が見えることを今日はじめて知った。あまりに嬉しかったので、妻にその場で電話して、できるだけ早く外(買い物)に出て、富士山を見るよう薦めた。


2000年11月26日記

休み日、夕食の「一品」をわたしが作ることがある。雑誌などを読んでいて、「これは」というものを作らせてもらうのだ。今日は、「うに豆腐おやき風」なるものを作った。わたしが時々読む雑誌の今月号は、最近凝っているチョコレートの特集であったが、別のところにたまたま「うに豆腐」の作り方がでていた。

練りウニ(*)(45cc)をお酒(**)(適当)で溶きながらのばし、丁寧に漉し器で滑らかになるまで漉す。それにバター(10g)を加え、完全に馴染むまで混ぜる(A)。本には、これをパンにぬって、トーストにしてもよいと書いてあった。

他方、湯に塩を一つまみいれ5分ほど豆腐(木綿)(1丁)を茹でる。そして、適当な大きさに切り、ざるの上でおもり(水を張ったボールなど)をのせ、水分を抜く(20分ほど)。水分を抜いた豆腐をざるに押し当て裏ごしする(B)。

上記のAとBさらに片栗粉(3分の2カップ)を合わせ、十分に混ぜ、適当な大きさに丸め、それを5から8ミリ程度に薄く延ばして、バターを引いたフライパンで焼き出来上がり。

結構おいしくいただけた。酒のつまみにもいい。腹持もいいので、次の日のおべんとうに入れてもらった。


(*)安いもので十分。本物のウニよりも練りウニの方が風味が出るらしい。

(**)なければ、水でよい。


2000年11月19日記

週末ともなると、CMのコピーではないが「お台場ドット混む」。日頃は、比較的静かな居住地区シーリアも、最近完成し現在入居者募集中の公団マンションがモデルルームを公開しており、朝から近所も賑やかである。

独身時代は、よく自由ヶ丘などの喫茶店で一日中勉強や読書などして過ごしていたせいか、その癖がいまも抜けない。休日の午後ともなると、文庫本一冊とちっちゃなコンピュータを持って出掛ける。台場には、平日ゆっくりできる喫茶店もないわけではないが、休日にそれを ここに期待する方が土台無理な話である。散歩がてらブラブラしても人、人、人・・・。ものを書いたり、本を読んだりするには、ちょっと向かない環境である。で、何となく歩いて行きつく先は家から10分程度のホテルのラウンジである(*)。静かかといえばそういうわけではないが、他の場所よりはマシである。とりあえず、ゆっくりすることはできる。コーヒーもお代り自由だし。ここで、講義のレジュメを作成し、予定を確認し、来週に備えるのである。


(*)ホテル日航台場2階「ベランダ」tel:03-5500-5500(代)


2000年11月17日記

しばしば新聞の折り込み広告の中に、お台場近隣居住者用にホテルやレストランの利用割引券が紛れこんでくることがある。平日の利用を促そうというものだろう。ホテルのスポーツクラブなどは、割引されてもとても行く気になれる価格にはならないが、レストランのものは比較的手頃なものが多い。

今日は、久しぶりに自宅でゆっくりする予定であったので、何気なく折り込み広告にも目を通してみた。すると、おいしそうなチーズフォンデュが目に飛び込んできた。ホテル日航台場のレストラン割引券である(*)。北欧料理のフェアをやっているらしい。数々の魚介類も食べることができそうである。居てもたってもいられず、今日の夕食は外食にしようと妻に提案し、早速、ホテルのレストラン「ベイサイドカフェ」に予約を入れた。

ブッフェ方式であったので、十分満足いくまで食べることができた。このホテルは何を食べてもおいしく外れがない。どの科目も卒なく点数をとる国立大学向きの優等生といった感じである(**)。最近、料理といえば魚介類を注文することが多くなったわたしは、これでもかというくらいたくさんの種類のお魚を十分堪能したのだった。


(*)実は、チーズフォンデュ以外にもわたしをひきつけたものがある。広告写真の後ろの方に控えていたデザートである。チョコレートのケーキであったが、そのコーティングされたチョコの照りが何とも悩ましかったのである。以前、横浜高島屋の地下にあるジェラール・ミュロの店にあったチョコレートケーキを思わせるあの「照り」。もちろん、食後のデザートにそれを食したことはいうまでもない。

(**)地元民は別として、多くの場合わざわざ安くはない交通費をかけてここまでくるのだから、はずれがあっては二度と来てくれなくなってしまう。当然といえば当然である。


2000年11月01日記

題して「サルティンバンコ間違い電話」事件。

昨日から今日にかけてわが家に間違い電話の嵐が吹き荒れた。妻によると、朝から頻繁に間違い電話がかかってきて、そのたびに家事を中断させられるので、電話線を外してしまったという。どおりで、何度か自宅に電話を入れたけれども、通じないわけである。

今日はいくらなんでも大丈夫とタカをくくっいたが、今朝も何件かありわたしがとって尋ねてみた。聞けば、「サルティンバンコ」の予約だという。電話番号は、"03-5500-8266"。確かにわが家の番号と似ている。

近くにフジテレビがあり、局番も似ているものがないとはいえない。わたしも、こちらに住みはじめたとき、自宅の電話番号をかけたつもりでいたら、ホテルニッコーにつながってしまい、びっくりしたことがあった。

チケット予約の番号に似ているとだと、信じられないくらいの数の電話が殺到する。市外局番が同じなのは仕方がないが、チケット予約などの場合には、一般向け回線とは違う特別な市内局番を割り当ててはいかがだろうか。


2000年10月31日記

先日、突如としてPSIONによるインターネットのアクセスができなくなった。原因は何だかわからない。あれからやったことといえば、新しいブラウザをインストールしたことくらいである。設定は問題ないはずだが、一応、一部をリストアすることにした。

この一件は、わたしを別の関心に導いた。NTTが新しく設置しはじめたIC公衆電話。都内にどれだけあるかご存じだろうか。実は、このタイプの公衆電話、都内で677カ所あるのだ。だから、どうしたといわれれば、何もいうことはない(*)。

ただ、これには赤外線通信機能がついているのだ。自宅でモデムを利用してアクセスするならば、ゆっくりいろいろな設定をいじくりまわして試すことができる。しかし、何せ公衆電話。いちいちその場所まで行ってアクセスを試すことになる。だから、ここ数日一生懸命になって赤外線対応公衆電話を探して歩いていた。で、ちょっと待てよということになった。きっとこのような情報を既にもっている人が必ずいる。インターネットを探したら、やはりあった。マニアな人ではなくて、NTT東日本のサイト。だが残念、家の近所にはないことがわかった。

都は、お台場・有明地区にIT関連企業の誘致を積極的にするとの意向を持っているとの記事を数日前の新聞で読んだ。それもよいだろう。しかし、ここの公衆電話は少なくともこれとは乖離した現状にあるようだ(**)。

面白いことを発見するきっかけにはなった。だが、わたしのPSIONはまだインターネットにアクセスすることはできないでいる。


(*)ただ、わたしはこのような知識が大好きである。ちなみに、この電話のデザインは、日比野克彦氏によるものである。知ってた?

(**)これは、単にわたしのわがままにすぎない、ということを付け加えて置く。


2000年10月25日記

多摩で朝一の講義がある火曜日とは違い、午後に江古田で講義のある水曜日はちょっとゆっくりめに自宅を出る。高層住宅に住むわたしは、まずエレベータで1階まで降り、管理人さんに挨拶してから出掛けるのが日課である。もちろん、とても朝早くに出掛ける日は、管理人さんもまだ出勤しておらず、声を掛けずに素通りする。

この管理人さんとは、ひょんなことからしゃべるようになった。日曜日の午後、お茶のお稽古を終え、新橋の駅前の喫茶店で妻と待ち合わせしたときのことである。わたしが新聞を読んでいる横にどこかで見かけた人がいる。向こうもチラチラとこちらを見ている。あらら、管理人さん。競馬新聞を読んでいた。

「お仕事ですか。」

「いや、家内と待ち合わせです。」

そんなやりとりから、管理人さんとの会話は始まった。


2000年10月20日記

今日の朝食は牛乳とカレーパン。

昨日、有明の東京ビッグサイトに出かけた帰りに、ビーナス・フォートにちょっとだけ寄った。ここの3階に「喜楽亭」(*)の支店がある。ここはカレーがおいしい店として知られている。お台場店(**)では、まさにそのカレーを使ったカレーパンが、一番売れているようだ。厨房を除くと、中にいるコックは皆せっせとパン生地にカレーを包んでいる。ほぼ1時間ごとに焼き上がるので、午後1時とか2時といった切りのいい時間近くなると、なんとなく客が並び始める。わたしもこの時間を見計らって買いに行く。一つ250円(税別)でお1人さま4個まで。丸いかたちの普通の辛さのものと、ラグビーボール型の辛口タイプの二種類。はっきり言ってこの値段は、高く感じられるかもしれない。たかがカレーパンに。しかし、食べてみるとわかる。しっかりした味にこのボリューム、表面の揚がり具合がちょうどよく、油の切れもいい。だから、しつこい感じがまったくしない。

カレーパンは、はやり揚げ立てを食べるのがいいに決まってる。わたしは、いつも自宅に持ち帰るが、家で食べる時はレンジなどで温めてからフライパンかなにかで表面をちょっと焼いてから食べると、ふっくらカリカリに出来上がる。


(*)本店は、三宿の246号沿いにある。行ったことはないが…。

(**)ビストロ喜楽亭お台場店、tel:03-3599-2317、東京都江東区青海1venusfort2520


2000年10月19日記

どうも木曜日は、月・火・水曜日とハードな活動しているので、一息ついて、自宅で仕事をすることが多い。ふと思いつき、午後になって東京ビッグサイトに出掛けることにした。昨日から一般公開したWorld PC Expoを見にいくためだ。パソコンを使い始めたばかりのころは、毎年のように出掛けていたが、しばらくご無沙汰した。ブラリ出掛けるのだから、チケットも取っていない。現地で入場券を購入するつもりでいた。しかし、心配なかった。りんかい線の駅のそばにダフ屋がいた。1500円のところ1000円で売っていた。今日は、たった一つのことを確認しにきたのだ。安ければ安いほどよい。早速、あやしげなパンチ・パーマのおじさんからチケットを購入して入場。

何を確認しにきたかといえば、近々発売予定と噂に聞く携帯電話用赤外線モジュール (*)である。今年7月のWiress Japanで話題をさらった「IrGear」(**)がいくら待っても出てこない。メーカーは何をしているのだ。MLなどの情報では、10月に発売と聞いていたが、もう中旬を過ぎてしまった。ずっと待っているのだ。この発売によって、やっとわたしのPSIONも携帯情報通信端末として本格的に稼動するというものだ。

きょう、現物を確認してきた。小さく実用的に見えた。いま流行りのPalmのブースに展示していたが、パンフレットを見ると、PSIONも動作可能機種として掲げてあった。11月初旬に発売予定とのこと。一部部品の獲得が遅れ発売が滞っていたらしい。1万円以下。あとは、発売を待つばかり。


(*)わが国の携帯電話には基本的に赤外線通信機能がない。わずかにノキアのモノ一機種のみこの機能がつく。そのため、わたしのようなソニーのジョグ・ダイヤル付き携帯電話のユーザで、PDAから直接ネットにアクセスしたい人間は、このようなモジュールが必要になる。

(**)リンク・エボリューション株式会社により開発された。


2000年10月18日記

今日は、10月18日なので、この日を有効に利用するべく予定を立てた。午後から江古田にある大学で講義があるので、これに間に合うように例のお台場循環快速バス(*)に乗り込む。帰りもこのバスを利用する。今日は300円を払わずともよい。チケットは運転免許証である。

何となく察しがついただろうか。実は、このバスのサービスに「ハッピーバースデーフリーサービス」というのがある。わたしも初めて利用した。

しかし、ただ見せるだけでは運転手さんは、キョトンとしてしまう。わたしがおもむろに免許証を提示すると、運転手さんは「どうしたんだろ」という顔をした。そして、次の瞬間「お誕生日ですね」と答え、「どうぞ」といってくれた。あまりこのサービスを使う人はいないのだろう。誕生日をお台場へ出掛けるきっかけとして利用してはいかがだろう。


(*)「お台場日誌」2000年10月13日参照。


2000年10月13日記

午後から出版社との打ち合わせのため、昼食をとってから自宅を出た。一応、日比谷で落ち合うことにしている。

お台場から銀座・東京方面へ出るなら、絶対バスが便利である(*)。通常の都バスの料金よりはちょっと高い300円(**)。しかし、新橋まで310円のゆりかもめよりは10円安い。最近とても都バスであることが分かりにくいペイントを施したバス(***)と違い、遠くからでも分かりやすく、座席もツアー向けのを使っているとみえて座り心地もよい。なんだかんだいって20分程度(****)は乗っているので、ちょっとした仕事も出来る。ちょっと便数は少なく、台場地区を循環するときに時間帯によって進行方向が異なっている点など、ちょっとコツがいるかもしれないが、「陸の孤島」ならぬ、まさに「東京湾の孤島」のお台場地区にとってたいへん便利な交通手段と言ってよいように思う。


(*)お台場循環バス(速01)

(**)45名までの定員制。但し、一杯になっているのを見たことがない。

(***)東京都の財政危機を受け、なりふり構わない措置が採られているが、これもその一環。これで、町の中を都バスが走っていてもなかなか判別がつかなくなってしまった。地下鉄の出入り口がわかりにくいとして、床屋さんマークのような印を作った知事がこれとは全く逆の措置をした例ともいえる。

(****)午後1時くらいまでは、お台場海浜公園からフジテレビ前を経てパレットタウンにぬけていく。この場合だと、銀座四丁目バス停留所まで30分くらいかかる。他方、午後2時以降は、これと進行方向が逆になるのでこれより早めに銀座に着くことができる。


2000年10月02日記

アクアシティの中央正面ゲートを入ると、誰にでもそれとわかる匂いがする。とても甘い香り。シナモンである。巷では、最近シナモン・ロールなるものが流行っているらしい。その火付け役ともなった「シナボン」(*)がお台場にある。いついっても行列ができており、人気のほどが伺われる。最近、増えつづえている街中のコーヒーショップ(**)をのぞいたら、どの店にも置いてあった。

シナモン・シュガーをパン生地に巻き込んで焼き、その上にまた砂糖を垂らしている。これでもかといいたくなるほどの甘さである。確かに二番煎じのシナモン・ロールよりもここのはおいしい。パン生地の味がいい。しっとりとバターが効いていて砂糖のザラザラした感じを上手に包み込んでいる。

しかし、基本的にわたしは、シナモンには酸味との組み合わせが一番(アップルパイを想像していただきたい)と考えているので、単純すぎるまでの甘さの追求だけではデザートとして興味をそそられないのである。


(*)CINABON:本店は吉祥寺にあるらしい。1個370円。しかしこのサイズはあまりにも大きいので、初めてのひとは一まわり小さなものから挑戦すればよい。

(**)スターバックスやチュリーズカフェの類、いわゆるシアトル系


2000年9月30日記

いま、帰りのバスは東名高速を走っている。きょうは、一日中、港区国際交流財団(M.I.A.)主催のバス・ハイキングに参加し、富士五湖周辺を見て歩いた。日程は結構ハードだったが、こちらへあまり訪れたことのないわたしたち夫婦にとって、満足できるものだった。参加者は、日本人45人、外国人45人の計90人。二つのバスに分乗して出掛けた。お昼のときご一緒したベジタリアンのインド人夫婦に頂いたインド流携帯食(*)がたいへん気に入った。ちょうどわたしたちと同じ時期に港区に引っ越してきたという若くさわやかなご夫妻と知り合えたことも幸運だった。

昨日といい、今日といい、すっかり港区を堪能した週末であった。


(*)肝心な名前を忘れてしまった。米をペースト状にして蒸し、それにさまざまな香辛料をまぶしたもの。四川料理の坦々麺を思わせる辛さと酸味。カレーと一緒に食べるとおいしいと言ってたので、家にかえってから試してみたら、普通のカレーなのに本格インドカリーに、これはすごい。


2000年9月29日記

午後から妻と寄席に行った。末広や鈴本まで出掛けたわけではない。お台場海浜公園駅のすぐそばにある台場区民センターが「ふれあい台場寄席」(*)と銘打ち催したのである。今回が最初の試みらしい。古典中心の三番組(**)が用意され、大いに笑った。わたしは、寄席は以前、御徒町の鈴本演芸場で見て以来だから、ゆうに5年は見ていないということになる。

平日午後過ぎという時間帯からか、それとも落語に関心ある世代がこうだからか、わたしたち夫婦以外はご年配の方々ばかりだった。会場は区民センターの和室だったが、そこがいっぱいになるほど集まっていた。台場といえば若い世代が中心と考えがちだが、そんなことはない。

「現代において、落語はいまいち人気がない。その原因の一つとして江戸時代の生活実感と現代のそれとが乖離してしまった」とある落語家がボヤいていた。確かに、落語に登場する道具一つとってもいまでは使わないものが多いだろう。しかし、いまでも時代劇がちゃんとウケているように、題材は古くても人間の機微は変わらないし、諧謔の精神はいまだ健在だと信じたい。観客との間にイメージの共有、つまりポエジーを感じさせることができるか否か、それが大切であるはずだ。


(*)無料。来年は1月26日に催される。問合せは、台場区民センター(03-5500-5266)

(**)出演者及び演目は次のとおり。

桂伸治「かぼちゃや」

三遊亭生之助「試し酒」

春風亭扇枝「竹の水仙」


2000年9月27日記

新橋からゆりかもめに乗り、レインボー・ブリッジを過ぎてからお台場海浜公園駅に向かう途中、右側に見える建物群が「シーリア」と呼ばれるお台場の居住地区である。「シーリア(Searea)」とは"sea"と"area"の合成語であろう。「シーリア」には一番街から五番街まであり、すべて都や公団・公社などが供給している公共賃貸住宅である。わたしもここの住人である。

この街の特徴として指摘し得る点は、まず第一に全住戸が賃貸住宅であるということであり、また、ここに住宅が建られるまでは人がまったく住んでいなかったということである。後者は、いわゆるニュータウンによく観察される事実だが、前者はとても珍しい。この地区が造成され数年を経ているが、さまざまな街づくり・コミュニティーづくりの試みが見られる。おまつりや盆おどりなど住民を中心としたイベントも催されているが、不思議と気楽である。「来る者拒まず」なのである。つまんない義務感を感じないのである。比較的若い家族が多く、分譲住宅とは異なり、「終(つい)の住処(すみか)」との認識が低いからなのだろうか。賃貸コミュニティーの気楽さがある。

政府の施策で住宅取得にさまざまな優遇措置がここ数年とられているが、必ずしも持ち家にこだわらず、都心に住むことにメリットを感じている人々も少なからずいることは確かだ。都心の便利さを享受したいと考える高齢者にもこのような傾向が見られるという。人々のライフ・ステージや趣味嗜好といった多様な価値観が存在しうるのだから、住宅の供給にしても景気対策にしてももう一工夫必要なところだろう。


2000年9月21日記

妻とわたしの最近のお気に入りは、Donatello's(*)のジェラート。まだ、シャーベット系は試していない(試すつもりもない…)が、ここがお台場アイスのイチオシ。今日、わたしは栗/小豆とクッキークリーム、妻はオレオ・クリームと定番ホワイト・クリームをダブル・コーン(**)で。栗/小豆は、クリームのなめらかさの中に渋皮の食感とその味の深みが、アンジェリーナ(***)のモンブランをこよなく愛するわたしを喜ばせた。オレオ・クリームは、粉くささを予想させる組み合わせだが、なめらかな仕上がりで、妻絶賛。


(*)Donatello's(江東区青海1VenusFort2F、tel:03-3599-2259)、その他大崎ゲートシティ等にも

(**)ダブル・コーン:320円、トリプル・カップ:370円(税別)

(***)銀座プランタンデパート1Fアンジェリーナのこと


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