[お気に入り]


2001年08月21日記

先日、1泊2日で箱根に行ってきた。渋滞を避け、自動車ではなく電車やバスで移動したが、これがなかなか面白かった。家から強羅の宿舎までは自家用車で、あとは電車やバスを利用した。丁度、仙石原のあたりでバスの乗り換えのため下車したが、目の前にあったのが、この店、「腸詰屋」(*)だった。函館にいたとき、カールレーモン(**)の洗礼を受けてからというもの、ハム・ソーセージに目がなくなり、ドイツ風の店構えの食べ物屋さんにはつい足が向いてしまう。

今日の朝食に、レバーローレというソーセージを食べた。しっとりと粘り気のある食感の中に、レバーがところどころに存在を主張する。レバー独特の味が後を引く。オードブルに出てくるパテやフォアグラに似た贅沢な味だ。しばらく、朝食は楽しめそうだ。


(*)腸詰屋:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原228、tel:0460-6-3900

(**)函館カールレーモン:北海道函館市元町30-3、TEL.0138-22-4596


2001年08月16日記

日頃、朝食といえばおコメでなければならないわたしだが、妻がお茶の稽古で実家に帰っている間は、パン食になることもある。たまたま前日の帰りが遅く、おかずを買うことができなかったので、冷蔵庫の中を何かないかと探していたら、あったあった。ちょっと前に頂いたジャムを一度も開けてなかった。今朝の朝食は、パンとジャムと牛乳だ。

わが家にはトースターがないので、魚を焼くグリルでパンを焼く。これがなかなか油断できない。気を許すと、真っ黒焦げになってしまう。慎重にパンを焼き上げてから、ジャムをつける。「四季のジャム・平和あんず」と銘打たれた杏のジャムである。信州のちょっと知られた店(*)の品で、丁寧に作られていて本当に美味い。果物特有の酸味が失われることなく、しっかりした味になっている。しばらく、楽しめそうだ。


(*)株式会社飯島商店:長野県上田市中央1-1-21、tel:0268-23-2150


2001年08月04日記

最近のわたしの朝の楽しみはここの最中を食べることである。花まるマーケットではないが、わたしは、毎朝起きるとすぐ「おめざ」と称して、甘いものを食べることにしている。これがあるとないとでは、一日の仕事の能率に影響するとさえ思っている。医者であり文士でもある森鴎外が書き物を始める前に羊羹を食べていたというから、きっと何らかの効能があるのだろう。わたしの場合、いつもはわが家に常時置いてある「干しプルーン」を牛乳と一緒に食べ、もらいものなどがあるときには、それを食べる。

先日、知り合いのお祝いに際し、ちょっとした贈り物をした。そのお返しとして、空也(*)の最中をいただいた。ご存じかもしれないが、ここの最中は予約しなければ手に入らない。贈り物には選んでも、自ら食べるためにはなかなか買わないこの最中。毎日、朝一つずつ食べるのが楽しみだ。

何がいいかといえば、最中の「かわ」である。香ばしさの中にしっかりとした味がある。「毅然とした香ばしさ」とでもいおうか。縁日の詐欺的な金魚掬いが使っていそうな、ちょっとした拍子にホロホロと崩れ落ちるような最中を食べていたわたしにとって、ここの最中との出会いはある種の衝撃であった。また、適度な甘さの餡は、「かわ」の存在感を引き立たせるのに役立っている。小さくとも一つで十分に満足する味である。

やはり最中は出来立てがいい。時間が経つとその風味が無くなってくる。しかし、上等な味の最中を毎日、一人密かに食する楽しみもすてがたい。


(*)空也:東京都中央区銀座6丁目並木通り、tel:03-3571-3304


2001年07月28日記

最近、横浜に行くと立ち寄る回転寿司、「沼津港」(*)。近時の回転寿司はたいへんレベルが高い。レベルが高いことが、さらに客を呼び、「需要に関する正のフィードバック効果」をもつ(世に言う「多々益々弁ず」という効果)。売れない店のしなびた寿司ほど悲しいものはない。客の回転がよい店ほど、新鮮なネタが回る。ちょっと考えれば分かることだ。

とはいうものの、わたしは寿司に関してはあまり偉そうにいえない。何せ、北海道生れのくせに大学に入るまで刺身を食べることができなかった。いわゆる食わず嫌いである。あのイカソーメンで有名な函館に三年間過ごしながら、一度も口にしたことがない。結局、大学に入って東京に出てきてから、友人に誘われて行った場末の回転寿司屋で初めて刺身なるものを食べ、いままで食べなかったことを悔やんだ次第である。わたしの舌はこの程度だ。

だから、寿司に関しての先入観がない。どういうことかといえば、ネタは「刺身」である必要はないということだ。アボカドだろうが、シーチキンだろうが、サラダ巻きだろうが大いに結構。店構えが、白木造りのカウンターである必要もない。あまり音楽を聴かない人が、とりあえずどのような音楽も受け入れることができるようなもので、「寿司とはこうあらねばならぬ」というコダワリはない。今ここにあるかたちを素直に受け入れることにしている。

だから、回転寿司に行くと、いわゆる正統派の寿司には手が伸びない。マヨネーズ味のけったいなものに手が伸びる(というより、この方が好きなのかも…)。寿司飯にマヨネーズってとても合うと思う。コンビニのシーチキン入りのおにぎり以上に。

もちろん、この店(沼津港)は正当な寿司ネタが沢山揃う美味い店だ。わたしには、もったいないくらい。いつも行列ができるだけある。


(*)沼津港:横浜市西区高島2-16-B1-127、tel:045-453-3443


2001年07月15日記

わたしの父(いま67歳)は、30歳・40歳・50歳・60歳と齢を積み重ねるごとに腕時計を自分の為に買うことにしている。それを見習ったわけではないが、わたしは自分にとっての新たなスタートを切る時に自分のために鞄を買うことにしている。修士課程への進学、博士課程への進学、就職、そして結婚。そのたびごとに鞄が増えていく。

この春からわたしの弟が家業を引き継ぐため、これまで働いていた札幌の会社を辞めて、実家に戻った。長男のわたしが東京で好き勝手やっているために、家業のことを含め、弟にさまざまな負担と責任を負ってもらわねばならなくなった。わたしの弟に対する多少の負い目と、彼にとっての新しいスタートを祝って、弟のために鞄をプレゼントした。わたしの趣味を押し付けている感も否めないが。

ある音楽を聴くと、自然にその時々の自らの状況が思い出されるのと同様に、わたしにとって、鞄は自らのスタートに思いをはせ、初心に戻ることができる小道具の一つである。

先日、鞄の持ち手の部分が壊れてしまった。この鞄は博士課程に進学した折に銀座の谷沢鞄店で購入したものだ。当時、店長は松沢さんという方で、平日午前中、お店にお邪魔した時に、2時間ほど彼の鞄哲学を聞かされたことがある。この人のおかげで、わたしの鞄に対するコダワリがかたち作られた。たまたま、谷沢の定番シリーズを違った色で染めたというので、それを見せてもらった。定番は黒色だったのだが、それはマホガニー色をしていて、12個だけ試しに作ってみたとのことだった。その一つがわたしの鞄だ。持ち手の手になじむような風合いと真鍮でできた金具。そのシンプルなデザインに一生モノを予感した。

品物自体はたいへん丈夫にできているのだが、何せわたしの使い方が荒っぽい。谷沢さんに伺うたびに、松沢さんに「もっとかわいがってくださいよ」といわれていた。ある日、あまりに鞄がかわいそうに思えたのか、松沢さんに鞄ごと奪われたこともある。「きれいにしますから、お預かります」と。鞄の中身を紙袋に入れさせられ家に帰されたこともあった。ブームに乗るブランドショップには決してない老舗の、顔の見える商売がそこにあった。

……先ほど、修理に出した鞄が出来上がったとの連絡を受けた。わたしに鞄の良し悪しを見分けるコツと鞄を持つことの楽しみ、そして付き合い方を教えてくれた愛すべき松沢店長はもういない。


2001年07月13日記

先日、わが家に思いがけない来訪者が手土産をもってやってきた。といっても、わたしは、あいにく不在で会うことができなかった。わが家は日頃お客さんが来ないので、のんびりと過ごしていた妻はその突然の来訪者に驚き、その余韻を一日中引きずっていた。かつて、正月早々実家に帰っていたわたしに、突然、恩師から電話がかかってきたことがあった。それを受けた母が、「はじめて先生とお話した!」とうれしそうに語り、よく理由がわからないが一日中舞い上がっていた。その日の妻の行動を見て、それを思い出し可笑しくなった。女性は、「驚き」というものに舞い上がる性質があるらしい。

さて、来訪者というのは、わたしのごく親しい友人で、「職務中」にわたしの住むお台場を訪ねてくれたのだ。職場は立石だ。近くに女性が沢山並んでいるお菓子屋さんがあると聞きつけ、そこでシュー・クリームを買ってきてくれた。わたしは、大学での講義を終え、夕方帰宅したが、夕食後、早速頂いた。

最近、シュークリームが流行っているせいか、どこのものを食べても水準が高い。わたしなどは、シュークリームを二つに割った時に出てくるカスタードクリームに小さな黒い粒(バニラビーンズ)を見つけることができないと、その店の意気込みを疑ってしまう変な癖までできてしまった。ここのは、表面が少し固く香ばしい。わが国でおなじみのものとは違うタイプだ。もちろん、黒い粒も見える。外見は、クロクラン・ブッシュの大きいものに近い。一口いただくと、程よい食感に焼き菓子特有の香ばしい香りが続いてくる。表面に塗布したシュガーも、その濃厚でしっかりした味を際立たせるのに重要な役割を果たしている。都会的なパリの味というより、郊外の小さな街のパティスリで味わうことができるような誠実で真面目なシュークリームである。


(*)カンパニュラ:東京都葛飾区立石4-33-3、tel:03-5698-8650


2001年07月03日記

原稿締切明けの朝。真夜中に原稿を出版社に送り、その後すこし寝た。約二時間ほど眠り、朝食を食べ、しばらく横になってから出かけることにする。きょうは、妻と秋葉原で落ち合い昼食を取ることにしていた。面白い店を教えてくれるらしい。

結局、睡眠をとることが出来なかった私は、約束の時間よりすこし早めに秋葉原に行く。ちょっと、気になることがあったからだ。まぁ、それについては、[わたしのデジタル環境 & レビュー]に近々アップするので見てほしい。

お昼のランチは、カレーだ。しかも、本格的インドカレーだ。驚いたことに、店構えはいわゆる赤提灯が似合いそうな居酒屋風(*)。かかっている曲はアメリカン。すべて、ちぐはぐだが、インドカレーは見事だ。美味い。東京に出てきた時、中村屋のカレーを食べて、ショックを受けたわたしだが、いまとなっては、インドカレーといってもそれほど珍しいものではない。しかし、この店の雰囲気で本格的なインドカレーが出てくるから新鮮だ。厨房を覗くとそこにいるのはインド人シェフ。お昼のランチ時のみインドカレーを出しているらしい。

そうそう、この店、この前、「王様のブランチ」に出ていた。


(*)なか:東京都千代田区神田松永町19、tel:03-3258-0441


2001年06月13日記

この夏に出版する予定の著書の執筆であわただしい。ちょっとした時間でも研究室に戻り、原稿のゲラをチェックしている。

きょうも、午前中、多摩にある大学で講義をしてから、すぐに三田の研究室に帰ってきた。いつもなら新宿経由なのだが、今日は井の頭線に乗り換えて渋谷を経由した。というのも、渋谷から大学の正門までバスが走っており便利だからである。これなら、ほとんど歩かなくても良い。しかも、じっくりバスの中で仕事ができる。

渋谷につくと、お腹がすいてきた。そうだ、久しぶりにベルギー・ワッフルの店に寄っていこう。ちょうど、井の頭線とJRの乗り換えの途中にミスター・ワッフル(*)という店がある。いっときのワッフル・ブームの時はたいへんな行列の店だったが、いまとなってはそれほどでもない。並んですぐに買うことができた。わたしは、あの手の柔らかい食べ物が好きである。単純で素朴で、バターの風味がわずかに甘い。最近、渋谷に行かなくなったので、もっぱらワッフルといえば、銀座のマネケンで買う。本屋などによると頭を使うせいか、いつも甘いものがほしくなる。だから、銀座の近藤書店や教文館の帰りには、マネケンに寄って、プレーンのワッフルを一つだけ買うのが習慣となっている。


(*)(連絡先)ワッフル・ファクトリー:東京都渋谷区宇田川町12-3ニュー渋谷コーポラス903、tel:03-3780-9912。


2001年06月02日記

あれこれたてこんでいて、いつもは日曜日に出掛けるお茶のお稽古を土曜日の今日朝からいくことにした。朝早くに、一度、職場に来てメールなどを確認してから、目黒不動まで出かけた。

その帰り、バスで五反田に出て、そこから更にバスにのり、高輪にあるお団子やさんに久しぶりに寄ることにした。高輪に松島屋(*)という餅菓子の古い店がある。わたしは、ここの豆大福が大好きである。きょうは、残念ながら売り切れてしまっていたので(午前十時に売り出す。ちょっときょうは来るのが遅かった…)、お昼ご飯にお赤飯を買った。

そうそう、赤飯といえば、北海道の人は赤飯に珍しいものを入れる。本州の人はそれが信じられないという。わたしは、小さな頃からその組み合わせが苦手でいつもそれを丁寧にどかして食べていた。しかも、赤飯を食べ終わったら、どかした「それ」を後で食べるのだ。

みなさんは、それがなんだか分かるだろうか。

実は、北海道ではお赤飯に"甘納豆"が入るのである。したがって、赤飯は甘いのである。いくら甘い物好きのわたしでも、これは困る。わたしがあまり喜ばないので、母は祖父や祖母向けに甘納豆入りの赤飯を、そしてわたしや弟向けに小豆入りの赤飯を別々に作ってくれた。いまから考えると本当に手間をとらせたと思っている。もちろん、松島屋の赤飯には甘納豆など入っていない。しかし、いまとなってはあの赤飯がとても懐かしく、久しぶりに口にしてみたいという気持ちになっているのは確かである。


(*)松島屋:東京都港区高輪1-5-25、tel:03-3441-0539。


2001年06月01日記

毎週水曜日、川越にある大学に講義に来ている。行きと帰りにあわせて通勤に3・4時間かかるのだが、毎回楽しみにしていることがある。

それは、ここのどら焼きを買うことである。東武東上線霞ヶ関駅の前で20年以上も前からやっている和菓子屋さんがある。「しずくら安藤」。といっても、せんべいやおかきといった庶民の味を売る店である。和菓子屋さんをみるとついつい入ってしまうのわたしだが、この店はおもわぬめっけものをしたと思った。ここのどら焼きはうまい。どら焼きといえば御徒町の「うさぎや」と相場は決まっていると思っていたが、いやいや他にもいい店がある。この店、何がいいといえば、皮である。まるで、神田須田町・万惣のホットケーキを思わせるふっくらした皮。口に入れたときに空気をいっぱいほおばった感じがするのである。そして、ゆっくり噛んでみると餡と砂糖の甘いにおいが皮に含まれた空気に押し出されながら口に広がる。どら焼きの醍醐味をわたしはここのどら焼きで学んだ。

ここのご主人によれば、毎朝早くに来て、店先で焼くのだそうだ。着色料や保存料を使っていないので、モチは悪いが、できたその日に食べるのが和菓子の醍醐味であり。


(*)川越しずくら安藤:埼玉県川越市霞ヶ関1-1-1、tel:0492-32-3629。


2001年05月25日記

まえまえから妻に言われていたのだが、なんとなく後回しにしていた眼鏡の新調を、京橋に出かけたついでにすることにした。眼鏡など一つでいいと思っていたのだが、それはかつてコンタクト・レンズをつけていたときの話。片方が壊れた場合に、代用が無ければこれほど怖いことはない。おそらく彼女もそれを心配して、結婚から一年、ことあるごとにわたしに眼鏡をもう一つ作るよう求めていた。

ここ数年、眼鏡の新調はしていない。最近では、眼鏡をおしゃれの一環と捉え、さまざまなデザインのフレームがかなり出回っている。他方、わが国では、眼鏡は検眼などの技術料との抱合せにより、利益率の非常に高い商品であることが言われている。近年、巷に広がるチェーン店は、薄利多売を実現し、この非常に高いマージン率を圧縮しながらも、利益を出すことに成功している(しかし、いまでは過当競争の雰囲気さえある)。

そのような中、いまだに姿勢を変えず、「眼鏡は技術だ」(*)といってはばからない眼鏡店がある。日本橋室町にある「村田眼鏡舗」(**)である。創業は1615年というから、大阪冬の陣があった年である。翌年、大阪夏の陣で豊臣家が滅びたのだから、その歴史は半端じゃない。もちろん、もともと眼鏡屋をやっていたわけではなく、宮中に出入りの鏡磨き職人の家だったらしい。

わたしが、この店にはじめて訪れたのは大学生のころだっただろうか、古い眼鏡屋があると聞いて、見物にいったのが最初である。店に入ると銅製の手鏡が飾ってあり、その横には水牛の爪でできたフレームに水晶のレンズをはめ込んだ眼鏡が展示してある。室町時代のものらしい。それだけでも興味が尽きないのに、いまやほとんどお目にかかることができない「はめ込み型の片めがね」(推理小説でルパンが片目につけているヤツ)や鼻眼鏡(吉田茂、ウッドロー・ウィルソンやフランクリン・ルーズベルトがつけているヤツ)もあった。さながら、「眼鏡の博物館」である。

一度、話のタネにこの店で作ってみようと思い、その時に対応してくれた現当主の14代目長兵衛氏にいろいろお話を伺ったことがある。支店は一切出さず、一店経営にこだわる。戦前は、オリジナル・デザインのものもしばしば作っていたそうであるが、いまは流行り廃りが激しくリスクが大きい。オリジナルは一部だけであるという。伊達に歴史があるだけではない、堅実である。オリジナルは、値段もそれなりであるが、さまざまな工夫と技術が結集している見事なフレームである。

ここの眼鏡は永久保証である。フレームは一生モノである。いや、もしかすると子々孫々にまで伝えることができるかもしれない。そのためだろうか、将来手に入らなくなるであろう鼈甲のフレームはそれだけを買っていく人もいるという。かつてわたしが鼻眼鏡に興味を示したら、これをつくることができる職人はわずか数人しかおらず、もうできなくなるから、いまのうちに手に入れることを薦められた。もちろん先立つものが無いので諦めたのだが…。

眼鏡は宝飾品並に興味深く関心の尽きない文化である。まだまだ語り尽くせないが機会があればまた書くことにしよう。きょうは、一応、ここで検眼とフレームを選び、出来上がりを待つことにした。


(*)初めてお店に伺った時に、今は亡き13代目当主村田長兵衛氏が言った言葉。

(**)村田眼鏡舗:東京都中央区日本橋室町3-3CMビル、tel:03-3241-1913。


2001年05月24日記

五月はわたしにとって「書」の季節。といっても、いまやわたしはすっかり筆を折ってしまっている。いまでは筆を持つのは、年賀状くらいになってしまった。

なぜ書の季節かといえば、わたしが一年に一度出掛けるのを楽しみにしている書道展があるからだ。といっても、上野の森などで新聞社の後援で開催する大きな展覧会では全然ない。大学時代にお世話になった書の師のお弟子さんたちが、先生が亡くなった後も真摯に書の勉強を続けている小さな小さな会の展覧会である。名前を「賀風会」という。先生の名前からとったのだという。ここに行くと、十年前に亡くなった先生の遺墨が必ず展示してあり、先生の筆致を思い出すいまやたった一つの機会である。

また、歌も詠まれた先生は、生前、自らの書の師であり歌人の尾上柴舟の言葉を引き、自詠自書を貫かれた。この展覧会に出品された作品のいくつかは、自詠自書である。

日々の生活の傍ら、書においては平安の雅の世界に浸ることに喜びを感じていた先生。その雰囲気を今も大切に守りつづけている会である。わたしも毎日の雑事を忘れ、いい時間を過ごした。


2001年05月14日記

風薫る五月。ここ十年ほど、毎年この時期になるといつもここに来る。三田線白山駅を降り、歩くこと数分、肴[さかな]町(現・向が丘1・2丁目付近)に十方寺という寺がある。

わたしが、毎年ここに足を運ぶのは、大学時代にたいへん世話になったわたしの書の師匠の墓参りのためだ。ちょうど、きょうは先生の命日である。あれから十年になる。たまたま今年は命日に出かけることができたのだが、いつもはこの前後にここを訪れる。無理して来ようとは思っていない。が、きょうのようなさわやかな日が続くと、何となく、十年前を思い出すのだ。時間の空いたときを見計らってここにくるようにしている。

ここに来るときのお決まりコースというのがある。まず、花を買う。お寺のすぐ近くにある花金商店という店でお供え用の花を一対。この十年で、姑の代から息子夫婦に代替わりした。それに伴って、店に置かれている花の種類も変わり、雰囲気がすこし今風になった。ここで買った花をもって墓前に向かう。しばし、一年のご報告…。帰りは、これまた近くの肴町・長寿庵というそば屋でもりそばを食べる。ここのそばは"庄之助そば"というらしい。そばについては、詳しいことは分からない。席に座ると、冷たい梅酒が振舞われる。この十年でこの店は規模を拡張し、別館が登場した。しばらくここで涼んでから家路につく。

かつては、高等学校時代の同級生、K氏が東大地震研究所にいたので、そこでお茶を飲ませてもらいにお邪魔していた。物理学者の淹れるお茶は、そのことだけで一つのエッセイになる。いずれ公表することもあろう。めっぽう、お茶がうまい彼なのだが、先ごろ博士の学位を取って無事就職し、現在、ここにはいない。


2001年05月11日記

午後、横浜にてあるNPOの一周年の会合があった。講演と懇親会に出席した。懇親会のテーブルには、わたしが鎌倉に行くと必ず買って帰るお菓子があって、とてもうれしかった。鎌倉ジャーマンの"鎌倉カスター"。ホロホロとしたやわらかいスポンジの中にカスタード・クリームが入っている菓子である。冷やして食べるとほんとにおいしい。

大学の頃、わたしは書道をやっていた。卒業時に銀座の松崎画廊で展覧会を開催したが、そのとき、書の師匠のひとりが手土産にこれを持ってきてくれた。これが、鎌倉カスターとの出会いであった。一度食べてすっかりわたしのお気に入りとなってしまった。

展覧会は、おかげ様で、たくさんの来場者に恵まれ、手土産のお菓子もたくさんいただいた。最終日には、手伝ってくれた後輩たちにプレゼントするのが慣例だったのだが、この鎌倉カスターだけは、しっかりとわたしがいただいてしまった。

それからというもの、何かの折に鎌倉へ寄った時には、大船のルミネの中にある鎌倉ジャーマンで買って帰るようになったのである。


2001年04月30日記

鎌倉に来たときの定番となりつつある店、ホルツ・ハウス房子(*)。かつて、ここでも取り上げたチーズケーキの有名な店。わたしの両親の結婚記念日のプレゼントとしてここのチーズケーキを送ることにした。

ついで、というかむしろ目的でもあったのだが、ここでお茶していくことにした(**)。ここのイート・インでは季節毎にデザートの種類が異なる。気候によっても違うらしい。前回きたときは、クレープだったが、きょうはサバランだった。ブリオッシュというパンにラム酒を浸し、間に莓が挟んである。甘さの中の酸味が巧妙だ。アプリコット・ジャムがささやかに効いていて美味い。

ケーキセット2000円は高いと考える向きもあるだろうが、考え方次第であると思う。通常、客がほとんど入ってこない店なので、まるでこのカフェを貸し切ったような感じになる。そう考えれば、これほど贅沢な空間を独り占めできるのだからこんなにすばらしいことはない。


(*)神奈川県鎌倉市鎌倉山3-2-10、0467-31-2636、営業時間(販売・喫茶)11:00〜17:00、水曜日定休。

(**)ケーキセットは2000円+税。


2001年04月29日記

2・3日間の予定で鎌倉に滞在することにした。しばらくゆっくりさせてもらうのだから、手土産を持参することにした。東京駅横の大丸でお菓子を買うことにした。おいしそうなお菓子を物色していたのだが、いまいち琴線に触れるものがない。結局、端午の節句が近いので虎屋(*)で粽と柏餅を買うことにした。


(*)虎屋黒川:東京都港区赤坂4-9-22、tel:03-3408-4122。京都一条にもお店がある。


2001年04月27日記

午前中、茅場町の某社でちょっとした会合があった。ここを訪れる時はいつもふらっと日本橋まで歩き、丸善に寄る。学生の頃は、何かにつけてここに来たものだが、就職してからは身辺も慌しくなり、なかなか立ち寄ることができなくなった。しかし、ここは何かと思い出深い本屋さんの一つである。

いまから十数年前、わたしは高等学校を卒業し、大学進学を機に上京した。高校時代、受験勉強の合間に寺田寅彦の随筆をよく読んでいた。物理学者である寺田のなんとなく都会的で洒脱な随筆に魅了され、遠く函館で東京での生活を夢見ていたこともあった。

彼の随筆の一編に「丸善と三越」というのがある。彼は、よくこの辺を散歩し、ここで本を購入していたらしいのである。随筆によると、この本屋さんに入り、中央の階段を上がると洋書売場があり、ここに足を踏み入れた瞬間、日本にいることを忘れ、どこか異国にきたような気分になる。とまぁ、こんなようなことが書いてあった。

首尾よく東京の大学に進学できた私が、このことを確かめに出かけたことはいうまでもない。確か、引越しの荷物の整理も出来ていないうちから、ここに足を運んだのを覚えている。もちろん、実際来て見ると、当時の面影を残しているものは何一つないかった(建物はずっと前に建て変わってしまっている)。しかし、田舎の小さな本屋さんしか知らなかった私にとっては、洋書というものが置いてあるだけで何かしらすごい感動を覚えた。わたしは、一通り店内を隈なく歩き回って、その後、寺田寅彦が歩いたであろう道を三越に向うことにした。

あれから随分経つが、ここに来るたびにこの思い出が蘇ってくる。


2001年04月19日記

半年振りに、川越にある大学に出かけた。春学期から始まる講義のためである。毎週ここに通いだすと帰りは池袋でフラフラすることも多い。とはいっても、本屋さんを巡るだけなのだが…。昨日も相変わらず寄り道をした。池袋に行くと必ず寄るジュンク堂の帰り、西武百貨店のデパ地下に足が向いた。和菓子でも買って帰ろうかと思ってのことだ。しかし、洋菓子の混みように比べ和菓子の店はいまいち勢いがない。応援してあげようと思うのだが、きょうの私の気分にしっくりくる和菓子もなかった(どんな気分じゃ)。ドクター・コパによると今年は和菓子が風水的にいいらしい。なのに、残念だ。

というわけで、洋菓子を物色してみたが、こちらも今日の気分に合わない。で、ふと考えてみると、そうだ、あれがあるではないか。メロンパンだ。西武のデパ地下にあるル・ノートルのメロンパンがちょっと前に話題になっていたことを思い出した。これを買っていこう。でも、並ぶのはヤダな。

実際、行って見ると一時のメロンパンブームもいまはそれほどでもないのか、思ったよりあっさりと買うことができた。

一個百円で安いし、不味くもない。でも、感動もない。近時のメロンパンは、ここののを含め、"メロン"パンなのである(*)。メロンの香りやクリームが入っている。もっとすごいのになると果肉まで…。あの懐かしいバターの風味とグラニュー糖のジャリジャリした食感のメロンパンはあまり話題にならない。もちろん、メロンパンにメロンの味を求めるべきかどうかには、より突っ込んだ検討が必要である。この点に関しては、歴史的な視点も含め、数多くのメロンパンに関する研究が公表されており、これらを参照していただきたい(**)。

ただ、わたしが言いたいのは、菓子、とくに大衆菓子には、味だけではなく"ノスタルジー"を感じさせて欲しいのだ。これが加わることによって、味は数倍になって感じられる。大人になって食べる菓子はおやつを楽しみにしていた幼い頃の郷愁にも似た感情と結びついている。「雪の博士」として有名な中谷宇吉郎は、学生時代に師匠の寺田寅彦と銀座の千疋屋に行ったときのことを随筆で回想している。当時高価な果物だったメロンが薄く切って出され、中谷はもったいないからチビチビと食べていたらしい。それを見た寺田寅彦はそんな食べ方では、おいしさが分からないといって、むしゃむしゃと食べ、当時学生だった中谷を驚かせたという。いまでもメロンは桐の箱に入って売られており、入院でもしなければ食べられない代物なのだろう。メロンはぜいたく品なのである。だから、贅沢なメロンを食べることができない大衆は、せめて手軽に手に入る菓子パンに憧れのメロンをイメージし、重ね合わせたのであろう。

わたしはメロンパンがおいしく、永遠にノスタルジーを感じるモノであるためには、メロンの味はいらないと思う。メロンパンなのにメロンの味がしないという事実は、届かない大衆の夢、メロンに対する憧憬の念を懐古する一つの契機でもあるからだ(***)。


(*)この前、ずいぶん並んでやっとのことで買うことができたタカノ・フルーツパーラーのメロンパンのこの類である。

(**)ためしに、検索サイト、グーグル(http://www.google.com/intl/ja/)で"メロンパン"を検索していただきたい。ここでヒットするメロンパン・サイトにはどれも圧倒される。

(***)現在、一部のものを除き、メロンを食べることはそれほど困難なことではない。とはいえ、わざわざ加工して食べるものなのではなく、やはり果物は手を加えずに食べるのが一番美味いと思うのだが、いかがだろうか。


2001年04月17日記

きょう、わが家に名古屋からお菓子が届いた。美濃忠(*)の"上り羊羹"(**)である。親しくして頂いている方からの心遣いである。わたしは、この羊羹を食べたことがなかったが、妻はこれが大好物なのだという。このお菓子が届くと聞いて、今日という日を彼女は本当に楽しみにしていた。

さっそく、夕食後にお茶とともに頂いた。いわゆる蒸し羊羹の類である。だから、寒天を混ぜているせいか歯切れがいい水羊羹とも、濃密な味の練り羊羹とも違う。"ういろう"のようなもっちりした食感に淡白な旨味が独特である。このもっちり感は、小豆、砂糖、小麦粉を約3時間半蒸し、途中かき混ぜることで出すのだという。


(*)美濃忠:名古屋市中区丸ノ内1-5-32、tel:052-231-3904、fax:052-231-1804

(**)この羊羹、春は5月25日まで、秋は9月10日からの期間限定品。3日しか日持ちしない。


2001年04月16日記

"羽根つき餃子"なるものが話題の中華料理の店が新橋にあるという。大分前、TBSの"はなまるマーケット"でTAKE 2がリポートしていた。それを見てからというもの、虎の門での研究会の帰り道、どこにあるのだろうかと探し歩いた。大体の当たりはつけておいたのだが、先日、やっと場所が確認でき妻と食べてきた。テレビでは新橋駅の近くといっていたのだが、新橋駅周辺には飲食店も多く、道も入り組んでいるので、ちょっと分かりにくかった(出かけるときは、空腹をおさえながら探すのも一興である)。

お皿にピザのような大きさのモノがのってくる(でも、餃子そのものの大きさは通常と変わらない)。五つ餃子がのっているもののそれらが餃子の皮でくっついている。餃子の周りを囲む皮は「サッポロポテト・バーベキュー味」のようにネット状になっている。餃子そのものに辛い唐辛子の粉末がのっているので、この"羽根"が辛さを緩和させるのに役立っている。アイスクリームにウェハースがつくのに似ている。ただ、このネット状の皮は、ちょっと油っぽいのが難点だ。


(*)大連紅虎餃子楼:東京都港区新橋2-8-14、03-5251-4390


2001年04月14日記

3月に京都に一週間くらい滞在し、茶の湯の世界にどっぷりつかった。そこでは、毎日きびしい稽古が続いたのであるが、楽しみもあった。その一つはおいしい和菓子が毎日出たことであった。京都はさすが伝統のある街である。一週間出かけることが許されない毎日だったが、ひとところに居りながらたくさんのお菓子を楽しむことができた。

わたしのお気に入りの一つは、亀屋伊織(*)の有平糖。有平糖は安土桃山時代にポルトガルから伝えられた南蛮菓子をいう。ポルトガル語でalfeloa(アルフェロア)。ここの有平糖は、きれいな黄緑色、透明な飴の"繊維"の中に白ゴマが入っている。この組み合わせがなんとも不思議で忘れられない味になる。また、独特の飴の粘りがいい。

何故、いまごろこのお菓子について書いたかといえば、先日、友人が京都のお土産としてここのお菓子を買ってきてくれたのである。のれんだけの小さな店ゆえ、予約しなければならない。彼の心遣いがうれしかった。


(*)亀屋伊織:京都府京都市二条通新町東入、075-231-6473(要予約)


2001年04月11日記

先週末、友人夫妻と一緒に食事をした。高輪に住む友人の奥さんが妊婦のため、彼の家の近くでとることになった。わたしも、品川からならバスで一本だ。

行った店は、昨年末にオープンしたステーキ・レストラン「アウトバック」(*)。基本コンセプトは、アメリカ人が見たオーストラリアのイメージといったところか。

最初に出された蜂蜜を練りこんだパンは、結構イケた。肉もボリュームたっぷりである。個人的にラム肉がお好みである。よく火が通っているのに、とても柔らかくおいしかった。お肉をたっぷり食べたいと思ったときは、大体、ブラジル料理を食べに青山まで行っていたのだが、近場に手ごろな店ができたので、これからはこちらを利用することになるかも。


(*)アウトバック・ステーキハウス・品川:東京都港区高輪4-10-8、高輪京急ホテル地下1階、03-5798-3501


2001年04月04日記

昨日、桜を見た帰りに寄った店(*)で、クグロフというパンを買った。わたしのお気に入りのパンで、円筒形にパンを焼いてたっぷりとラム酒を浸し、粉砂糖をまぶした物である。ここまできくと、お菓子に詳しい人はサバランというお菓子を想像されるかもしれない。そう、クグロフはサバランのご先祖様である。

クグロフといえば、浅草の公会堂近くにあるアンジェラスで食べて以来のファンで、クグロフのある店では必ずといっていいくらい触手が伸びる。昨日もその例外ではなく800円で思わず買ってしまった。

で、きょうの朝食はもちろんクグロフである。


(*)オー・バカナル(AUX BACCHANALES):東京都港区赤坂1-12-32アーク森ビル:03-3582-2225


2001年04月03日記

桜が満開である。お花見と行きたいところだが、お台場にあるのは山桜だけ。やはりお花見といえば「染井吉野」である。だいぶん前から、妻と桜を見に行く約束していたが、いろいろ忙しく結局今日になってしまった。

まぁ、お花見といっても、桜の下を散歩するだけなのだが…。

午後から研究室で仕事をしたかったので、桜を見た後に昼食を外でとることにした。さて、わが家から出かけやすく、三田にある研究室に近い桜スポットはどこか。いろいろ考えた末、数年前、休日に桜を見にきたことのあるアークヒルズに行くことにした。ここなら、新橋から銀座線で行けるし、三田までは溜池山王駅から南北線がある。

溜池山王駅のアークヒルズ近い13番出口を出て、「桜坂」を上る。「榎坂」、「霊南坂」を経て「スペイン坂」を下りていく。この間ずっと桜の回廊が続いている。時折吹く風に、桜の花びらが回廊の壁を伝うように渦巻く様は、まさに絶景である。


2001年03月26日記

最近、はまっている歯ブラシがある。「オーラルB」という名前の歯ブラシである。アメリカ製で一本500円もするが、これで磨いた後はほんとうにすっきりと歯がきれいになる(ような気がする)。妻が時々読んでいる雑誌「ヴァンテーヌ」にこの歯ブラシの事が出ており、その異様な形ゆえにたいへん気になっていた。

うまい具合に、ビーナス・フォートに「歯」に関するグッズを専門に扱っている店があり、そこに売っていたので早速買って試してみることにした。

この歯ブラシ何がすごいかといえば、見てすぐに分かるくらい特異なブラシの植え込み方である。なんだかよく分からないが、きっと計算し尽くされた植毛なのだろう。わが国で販売されているギザギザ・カットやブラシの先に工夫がなされているというわけではないが、これがまたよくとれる(ような気がする)のである。


2001年03月25日記

昨日、帝国ホテルに行った折、一階にあるホテルのパン、ケーキ及び惣菜の店、ガルガンチュア(*)でブルーベリー・パイ(**)を買った。ときどき無性にこれを食べたくなることがある。かつてある人から頂いてから、わたしの大好物になった。だから、手土産などに買うこともしばしば。午前中にホテルに居り、帰りに職場のある三田にいく予定だったので、いつも世話になっている事務のみんなに一人一つずつブルーベリー・パイを買って帰った。わたしの悪い癖は、自分が大好きなものをすぐ人に押し付けることだ。

さっくりしたパイの生地に、たっぷりブルーベリー・ジャムが入っている。だけど、その甘さの加減が絶妙。決してしつこくなく、上品でフルーティーである。パイなのでフォークで上品に食べると崩れてしまうが、そんなときはかぶりつくに限る。パイの食感、バターの風味、ブルーベリー・ジャムのわずかな酸味そしてシナモンの香り。この絶妙な組み合わせがパイの醍醐味である。


(*)ガルガンチュア(帝国ホテル1階):東京都千代田区内幸町1-1-1

(**)520円だが、ホールでも売っている。


2001年03月13日記

昨日のつづき。「ホルトハウス房子の店/ハウス・オブ・フレーバーズ房子のチーズケーキ。贅沢な材料をふんだんに使っているだけあって、バランスのとれた深く濃い味わいに特徴がある。甘みも強い。贅沢な材料により十分な味を自信をもって出すには、今はやりの健康指向には譲歩してもらうしかない。つまらない妥協と世の中への諂いはいらない。妥協と諂いは妙な反動を生む。健康指向下の駄菓子やシナモンロールなどへの再評価がこれである。菓子は甘くてこそ意味がある。子供でも分かる単純な味覚である甘さの中にこそ、滋味豊かな深さを大人の味として楽しむことができるのである。

いずれにしても、この味を一度体験すると、二度と忘れられないことになるだろう。


2001年03月12日記

最近、忙しかったせいか疲れがたまっていたと見えて、妻の実家ではゆっくりと寝かしてもらった。だからきょうは午後から活動開始。鎌倉にある妻の実家の近くに有名なチーズケーキの店がある。「ホルトハウス房子の店/ハウス・オブ・フレーバーズ」(*)。知る人ぞ知るチーズケーキの名店。鎌倉山の中腹に自宅に併設された小さな店を構えている。歩いていくと10分足らずだが、車でいくと大変遠回りをしなければならない不便な場所にある。

静かな雰囲気でゆっくりできる空間である。めったにお客さんは来ないのでまるで貸切である。デザートも丁寧に作りこまれた上品な味に仕上げられている。こんなに近くにあるのなら、鎌倉山に来た折りには必ず寄りたい店である。

きょうは、たまたまイート・イン向けのチーズ・ケーキはなく、クレープを食べた。で、待望のケーキはテイク・アウトすることにした(**)。

感想はまたあした。


(*)神奈川県鎌倉市鎌倉山3-2-10、0467-31-2636、営業時間(販売・喫茶)11:00〜17:00、水曜日定休。最近、クィーンズイーストよこはま東急百貨店B1にも出店したそうである。多くの人の場合、きっとこちらの店の方が便利であろう。

(**)値段はびっくりするかもしれないが、チーズケーキはホールで12000円。ミニサイズで4000円。とりあえず私は後者を購入した。あと、ケーキセットは2000円。安いとみるか高いとみるかはあなた次第。


2001年03月11日記

合宿は正午で解散。これから二日ほど妻の実家に世話になるので、お土産を買う。熱海でのお土産はだいたい和菓子を選んでいる。温泉地なので温泉まんじゅうということになりそうだが、わたしはいつも村上(*)という店に寄ることにしている。

目的は、「天の川」(**)という薯よ饅頭である。こしあんがたっぷり入ったなかに、山芋の風味がしっとりとはまっている皮(***)。存在感ある味なのに、小振りでかわいらしいサイズである。


(*)静岡県熱海市。電話番号0557-83-7111、田原本町4-8

(**)一個120円。

(***)わたしは、数ある皮の中でこれがお好み。


2001年03月10日記

虎ノ門での研究会も始まって通算四年目になる。企業で法務に携わる人、弁護士、役人が、毎週月曜日に集まり独占禁止法の諸問題について検討する。わたしにとって日常的に自らの思考を鍛える大切な機会である。この研究会が始まってから年に二回熱海で合宿をするのも恒例となっている。

いつも潮音荘(*)という裁判所の保養所を利用している。交通の便(**)がよい上に安く(***)、温泉も出る。研究会をやるための会議室もある。料理もうまい。もちろん、割烹旅館みたいな高級感はないがとても居心地がいい宿である。


(*)裁判所の共済組合の施設なのでどのようなルートで予約するのかはよく知らない。いつも担当者の森さんという方に直接電話してお願いしている。

(**)熱海駅から歩いて5分。

(***)一泊3900円だから驚きだ。


2001年02月19日記

朝から横浜でのイベントに参加(*)。前日から体調が悪く珍しく熱も出て最悪だったが、しゃべっている内にだんだん元気になってきた。妻には午前の会合が終わったら帰ってこいと言われていたが、実際帰ったのは午後9時。キムタクのドラマ(**)が始まる寸前であった。

それまで何をやっていたかというと、体の調子も良くなってきたので、午後からの恩師の報告を聞きにいっていたのだ。終わったのは、午後3時半。その後、その恩師と岡田屋モアーズの上でしばし時間をつぶし、そのあと恩師がよく行くという中華街の店にいった。

中華街は、何度かいったことがあるが、あまり研究したことはなく、どこがおいしいのかもよく知らなかったので、こうやって誰かに紹介されてきた店に再び伺うことが多い(***)。食事をすることもせず、店先で売られている饅頭や月餅(****)を楽しむだけである。

入った店は「広東飯店」(*****)。先生はここがごひいきらしい。こちらの先生は数年前に横浜の大学に移られたのでこの辺で飲むことも多いのだろう。フカヒレスープ、カシューナッツ炒めそして杏仁豆腐をご馳走になった。そうそう紹興酒も。わたしが言うのもなんであるが、こちらの先生とわたしはたいへん食べ物の好みが合うので、すべておいしく食すことができた。一言付け加えさせてもらえば、ここのトーバンジャンはとても美味かった。


(*)ここでの報告要旨は、[市民講座・消費者講座]に資料を載せている。

(**)ご存知「HERO」。

(***)といっても知る店は数件程度

(****)わたしは、ココナッツの月餅が大好きである。

(*****)横浜中華街、TEL:045-681-7676


2001年02月16日記

3月に所用で京都に行くことになった。そのために、紋付きと袴を誂えた。この経緯とその地で見るであろうことについてはいずれ述べることになろう。何せ北海道の開拓者(の子孫)の家に育ったわたしとは無縁の「みやび」の世界に足をふみいれ、五日間も修行するのだから、よっぽどの覚悟が必要である。またそれ以前に、足袋も草履も必要だ。そんなわけで、試験監督のない日を利用して浅草まで買いに出掛けることにした。

浅草の履物問屋街の真ん中に「はせがわ」という店がある。ちょうど、都営浅草線の出口のすぐそばにある。草履の専門店である。一階には男物、二階には女物。その場でわたしの足の形を一目見、物差しをあてがうでもなく、職人さんが、見当をつけて鼻緒をつける。それがまた、うまい具合いにぴったりと合う。職人の技を目の当りにした。

店の雰囲気がまたいい。鼻緒を付けている間、お茶をいれてもらい。しばしおしゃべりを楽しむ。近所の年老いたおじいさんが、暇をもてあまし、店の中で昔の話を楽しげに話している。幼い日に見た昔ながらの商店街の一コマである。わたしもこのようなのどかな雰囲気のなかで過ごしてきたから、本当に懐かしい気持ちになった。


2001年02月15日記

文学部の入学試験。一時限は外国語。恒例の長文問題である。何とこの試験、辞書持込可である。しかも二冊まで。英語であれば英和辞典と、和英辞典または英英辞典を持ち込むのであろうか。

一つ興味深かったのは、受験生が持ち込む辞書。われわれが受験勉強をしていたときは、研究社の『英和中辞典』がメジャーだった。語彙の多さでは定評のある小学館の『プログレッシブ英和辞典』を使う人もいた。しかし、この十数年間でそんな辞書の市場地図が大きく変わっていた。圧倒的多数の生徒が、大修館書店の『ジーニアス英和辞典』を使用しているのだ。大修館といえば、元日銀の理事で現在衆議院議員の鈴木淑夫氏の実家。大漢和辞典のシリーズで有名な出版社である。この『ジーニアス英和辞典』は、ちょうどわたしが大学に入学してからまもなく鳴り物入りで刊行された。例文が豊富だという評判だった。現在、わたしも使っている。受験期のときとは違って丁寧な読み方をしなくなったが、当時使っていたフランス語辞典(*)もよかったので、この辞書を購入したのがはじまりだった。

こんな風に、受験生の辞書を調査しているとあっという間に、120分という時間が過ぎた。


(*)朝倉季雄『スタンダード仏和辞典』のこと。


2001年02月14日記

入学試験のシーズンである。わたしの勤務先は今週いっぱい入試ウィークである。わたしも今週三日間はこのために一日をささげなければならない。

淡々と退屈に時間が過ぎる試験監督だが、きょうの昼食にちょっとした発見があった。入試監督には学食の食券がつく。中華の定食だった。学食はあまり好きではなく、おそらく両手で数える程度しか食べたことがない。もっぱら、「山食」派である。

ただ、デザートについてきた杏仁豆腐。結構、美味いではないか。缶詰の安っぽいフルーツをのせていたのはいただけないが、豆腐そのものはかなりイケる。学食も進歩したものだ。入試監督者向けのメニューでないことを祈るばかりである。


2001年02月13日記

昨日は行きつけの喫茶店の31回目の開店記念日だったので、妻と共にプレゼントの花束を買って珈琲を飲みにいった。帰りは、銀座で買い物をし食事をすることにした。安いところで簡単に済ませようということになり、そんなときに時々寄る「紅虎餃子房」に入った。鉄鍋餃子が有名な店である。そうそう、新橋の店には「羽根付き餃子」なんていうのもあるらしい。テレビでやっていた。

この店、「飲食店の再建屋」と呼ばれる人がプロデュースしているのだという。売れない飲食店を復活させるプロらしい。

まぁ、そんなことを話題に食事をしたのだが、わたしは相変わらず最近ブームの坦々麺。いまだどこがお気に入りと明言することはできないが、ただいま研究中である。ここの坦々麺、かなりゴマの甘さが強く出ている。しかし、だからといって油断していると、すぐに強い辛さが口中を襲う。なお、山椒は基本的にすりつぶして入っているため、マニアックな味わいではなく、一般の人にも「うける」味ではないだろうか。


(*)104-0061東京都中央区銀座4-6-1銀座三和ビルB2、03-3567-1043


2001年02月10日記

以前、「橙家」(*)という店を紹介した。ここを所要で再び利用した。きょうは、その続報。

ちょうど時期的に店舗の運営も軌道に乗り始めたころなのだろうと思い、わたしは前の好印象と共に再び予約した。相変わらず広くゆったりしたスペースにさまざまなコンセプトが実践されている。ここまではよい。

しかし、リピーターとしてここを利用した感想はあまりよいものではなかった。前回と同様、コースを頼んだのだが、品目数は変わらず、明らかに質が落ちた。奇をてらった演出がいきすぎたのか、いくつかの品はどういっても誉められた味付けではなかった。以前、積極的に評価した朴葉の牛肉は、ある程度焼き上がったものが出され、七輪では温めるだけ。

もっと驚いたのが、従業員の質。入り口で迎えるのが六本木のクラブか新宿のホストクラブにでもいそうな黒服の男。料理についてのあまりにもお粗末な知識。前回来たときに対応してくれた女性はアルバイトだといっていたが、きちんと教育されていたのがわかった。

オープニングのスタッフが入れ替わったのかわからないが、評判を落とすということがいかに簡単なことなのか、考えさせるディナーであった。


(*)tel:03-5537-3566、東京都中央区銀座西8-5先銀座ナインNo.1二階、午後5時から翌日1時まで、年中無休。


2001年02月09日記

きょうは、ほとんど寝ていない。午前中の会議の準備のため、久しぶりに徹夜した。

正午に会議が終わり、近くで昼食をとることにした。日比谷三信ビルの地下一階にある「辰味」。大衆的な居酒屋だったが、最近、リニューアルしてちょっとばかり品が良くなった。板さんがなかなかの職人気質でいつもおいしい料理を作ってくれる。安いながらも丁寧な味付けが魅力の店である。

きょうの定食メニューは、鮪のづけ丼、さばの塩焼き定食、肉豆腐定食など(*)。わたしは、さばの塩焼きを注文した。さばはいうまでもなく、丁寧な味付けのお味噌汁そして漬物がいい。


(*)昼食時の定食は一律850円。


2001年02月08日記

お昼ちょっと前、大森某ビルで待ち合わせ。今週末に予定されているセミナーの打ち合わせをランチをとりながら行う。このセミナーのゲストが薦める洋食の店に行くことになっていた。

「洋食・入船」(*)。名前だけみれば、新鮮な魚の料理が出てきそうである。もともと船宿だったという。ごく普通の民家のたたずまい。急な階段。懐かしい黒電話。そして通された座敷。ここで洋食が出てくるというのだから不思議だ。

今日の日替わり定食は、ヒレかつ定食であった。先に出されたじゃがいものスープがうれしい(**)。きちんと肉汁がころもに閉じ込められ、しかも柔らかいおいしい肉であった。ころもに卵がいい具合に利いていた。おそらくオリジナルのソースもあっている。ヒレかつは、下手な店で注文するとカチカチでスカスカのまずいのが出されることが多い(***)。だから、わたしはよっぽどのことがない限り、ロースかつを注文するのが常であった。期待を裏切られずほんとによかった。

今度、来る時はタンシチューを食べてみたい。


(*)東京都品川区南大井3-18-5、電話番号:03-3761-5891

(**)神田神保町のスマトラ・カレーの店「共栄堂」で出されるスープに似ていた。

(***)いかにわたしがまずい店で食べていたか容易に想像できるだろう。


2001年02月04日記

突如、思い立ち幕張にあるカルフール(*)に出かけた。オープンしたばかりのハイパーマーケット(イペール・マルシェ)である。広々した通路に、大きなカートに子供と品物をのせている姿は、パリで見た店そのものであった。惣菜売場もわが国では見かけない風景のものである。

しかし、すっかり所帯じみたわたしがみるのは、商品の値段。安いとはいえず、高いともいえず、近所にあれば便利かもしれないが、わざわざ出かけて来るほどのものでは…。従業員も売場の構成をいまだ把握していない様子であったし、新しい商品が入荷しておらず、空いた棚もいくつかあった(**)。結局、わたしは何も買わずに店舗見学をして帰ってきてしまったのだが、ちょっと寄った「たこやき」の店が気に入った。

はじめて見るたこ焼屋である。「天狗たこ」(***)。ここのたこ焼、何がいいかといえば、生地である。一見したところ何の変哲もないが、出汁がとてもきいていて、うまい。六個399円だから、通常この値段で八個入るのに比べ、コストパフォーマンス的にちょっと劣るが、ここの出汁は一度味わっておく必要があろう。


(*)大分前になるが、フランスに行った時、パリの郊外にあるカルフールに行ったことがある。そのデカさに圧倒された記憶がある。友人たちとホテルの部屋で食事をしようということで、ワインやチーズを買った。愛想のいいおばちゃんがフォアグラを切り損じて多めにくれたことがあり、カルフールには殊更いい思い出があった。

(**)今年になってからの新聞記事で、開店当時、商品の確保に難儀したとの報道があり、これに失敗したとの理由で、店長が一人更迭されたという。

(***)千葉県千葉市美浜区ひび野1-3カルフール幕張店2F、電話番号:043-272-2765


2001年02月03日記

わが家で取っている新聞は、日本経済新聞と東京新聞であるが、今日の朝刊一面のコラムは、いずれも同じ人物を取り上げていた。福澤諭吉。きょうは、福澤諭吉の命日である(*)。縁あっていまだに慶應義塾に世話になり続けているが、大学入学以来、2月3日は墓参りを欠かしたことはない。

麻布十番商店街のほど近く、麻布善福寺に福澤先生の墓がある。ちょうど、節分ということもあり、いつも帰りには『豆源』(**)に寄ることにしている。枡に入った豆まき用の豆を買い、実演販売をしている「塩おかき」を試食してから買うことも欠かしたことがない(***)。これがまた美味い。できたてならなおさらである。適当な塩加減にカリッとした歯ざわり、そして崩壊した「かきもち」がほろほろと口の中でひろがる。油が後をひかない。

いつもなら、これらを買った後に鯛焼きで有名な『浪花屋』によって、食べながら歩いて帰途につく。土曜日のせいか残念ながらきょうは午後三時まで待たなければならなかった。来年までとっておくことにしよう。


(*)慶應義塾では、雪池忌(ゆきちき)と呼ぶ。

(**)東京都港区麻布十番1-8-12(毎週火曜日定休)、電話番号:03-3583-0962

(***)試食をするのは、もちろん味見のためではない。ついついお腹がすいて手が伸びるのである。


2001年01月31日記

ここ数日、メインで使っているコンピュータの調子が悪い(*)。ACアダプターからきちんと電力が供給されていないのである。

どうしてだろ。あれこれいじってみて、どうも接触の問題であるとの認識に至る。でも、ACアダプターの問題なのか、それともコンピュータ本体の問題なのか。

明日から二月。いろいろな用件が入っていて、このマシンに毎日お世話にならなければならない(**)。ここで壊れてもらっては困る。一生懸命、原因と思しき事実を思い出す。そうだ、最近、コンピュータを持ち運ぶことが多く、あちこちの作業場でアダプターをついつい落としてしまっていた(***)。かつて、同じような目に遭ったことがある。そうそう、修士論文を書いている時だった。まだ、マッキントッシュのパワーブック520を使っていたときだ。あちこちで論文書いていて、何度かアダプターを落として、使い物にならなくなった(****)。

きっと、アダプターが壊れたに違いない。ちょうど、きょうは出かようと思っていたし、新橋のキムラヤに行って買って来よう。

当然あると思っていた商品だが、残念ながらキムラヤにはなかった。古い型なので取り寄せになるという。こうなると待ちきれないのが人情。秋葉原行かなきゃだめかな、と思っていた矢先、目に入ったソニーの看板。アビックという聞きなれないパソコンショップ。一応のぞいてみたら、ソニーの専門店。こんな店あるとは知らなかった。数日、髪の毛を洗っていないような黒ぶちのめがねをした兄ちゃんが対応してくれた。すぐに、わたしが求める商品を出してくれた。

さすが、ソニーショップ。これで、何とかしのいでいける。よかったよかった。


(*)一九九九年一月に購入したバイオ505GX。丸二年間使っている。いまとなってはパワー不足であるが、パワーのいる仕事をしていないので全く問題なく活躍している。まだ、新しいマシンがほしいという気持ちになっていない。

(**)今月は、とてもハードな予定を組んでいる。だれか助けて!!

(***)別のページに掲載したが、公正取引委員会に提出する意見書を数人でまとめる作業をし、連日終電で帰る毎日を過ごしていた。近時まれに見る熱情を傾けて作成したモノである。当然、そのお供にこのコンピュータは役立ってくれた。

(****)説明書にも書いてあるとおり、アダプターは落とさないほうがいいらしい。


2001年01月24日記

昨日、試験実施のため多摩にある大学に午前中から出かけた。夕方、妻と待ち合わせて夕食を食べることにしていた。新宿で食べることにしたものの、どこで食べるのかを全く考えておらず、行き当たりばったりで店に入ることにした。

以前から、妻が行きたがっていた新宿・高島屋十階にある「鼎泰豊」(ディン・タイ・ホウ)(*)にしようかと思い、高島屋まで行ったものの、そこに着いたら午後七時過ぎ。残念ながら、オーダーストップの時間が過ぎていた。

で、とりあえず、東口に向かって歩いていった。あれこれ、わたしの"うまい店データベース"をクリクリ動かしていたとき思い出した。そうだこの辺にマグロの"かま"を出す店がある。わずかな記憶を頼りに、小さな小道をあれこれ、動き回ったらあったあった。三・四年ぶりくらいになるであろうか。店の名前も忘れてしまっていた。

「楽太郎」(**)という。落ち着いた風情の和食が中心の店である。あっさりした日本料理であるが、居酒屋のように居心地がいい。本当の分類は、居酒屋であろう。コンセプトはきっとそうなのだ。でも、基本の日本料理はリーズナブルでおいしい。なのに、マグロの"かま"は、スペアリブのように豪快に出てくる。これもうれしい。


(*)小籠包がおいしいことで有名。いずれ紹介することになろう。

(**)東京都新宿区新宿3-17-21新三ビル地下一階、03-3357-4939、午後5時から午前12時まで。日曜日定休、祝祭日営業。


2001年01月20日記

わたしのコートを買うために、銀座へ出かけることにした。午後遅くなって出かけたので、買い物前から小腹が減った。そこで、以前から行こう行こうと思っていたミッシェル・ショーダンに寄って行くことにした。松坂屋デパートの地下一階、万惣フルーツパーラーのとなり。チョコレート専門店として知られるミッシェル・ショーダンがある。

ここに併設されたカフェで、ホット・チョコレート(ショコラ・ショー)を飲むことができる。

ホット・チョコレートとココアの違いは、カカオバターが入っているか否かである。ココアには、カカオバターが入っていない。植物油脂に比べ、価格が非常に高いカカオバターを分離することができるようになったのは、それほど古い話ではない(*)。ココアといえばヴァン・ホーテン社であるが、この創業者ヴァン・ホーテン博士こそが、この技術を開発したその人なのである。

ここでは、いまだカカオバターを分離することがなかった頃のホットチョコレートを味わうことができる。わたしは、チョコレートの本来の味を楽しむことが出来るエスメラルダ(ビター)(**)を注文したが、この独特のコクは「酒粕」を思わせる風味である。甘酒を飲む時に感じるフレーバーを感じることができるのである。

ホット・チョコレート専用のポットもぜひ楽しんでもらいたい。


(*)植物油脂よりもカカオバターは高い。約十倍ほどの価格差があるという。通常、カカオバターは良質な油分を含んでおり、化粧品などに使われる。そのため、営利主義に走ったメーカーは、カカオバターを他社に売り、植物油脂を使ってチョコレートが作られている。

(**)他にいくつかフレーバーを入れたものがあるが、いずれも900円。


2001年01月14日記

明治神宮の帰り、渋谷のらーめん店に入った。前からテレビでやっていて、ぜひ行こうといっていた店だ。「唐そば」(*)という博多にあるラーメン店の支店である。

博多ラーメンに有りがちな独特の「獣臭さ」がなく、鶏がらでだしたスープはあっさりと仕上がっている。すこし塩辛いスープは、まっすぐな麺にはこれくらいの方がいい。ちぢれ麺であれば、スープと絡んで口に入るので塩辛さがより強く感じられるからだ。


(*)唐そば:tel03-3486-0147、住所:東京都渋谷区渋谷3-22-6三信ビル1F、営業時間:午前11時から午後11時まで、定休日:日曜日


2001年01月13日記

久しぶりの「お気に入り」の更新。きょうはわが家のちょっと遅い初詣。わたしは、元旦に義理の父・母と鎌倉・江ノ島神社に行ったのだが、妻はまだお参りに行ってなかった。彼女は、大晦日からインフルエンザで倒れていたのだ。

初詣は明治神宮に出かけた。夫婦共々、はじめてだった。本殿までの鬱蒼とした杜に囲まれた参道は、自然と荘厳な気分にさせられる。


2000年11月22日記

江古田に行くまえに、秋葉原のイケショップ・モバイルプラザに寄る。昨日、ここのHPで、待望の"IR GEAR for KEITAI"(*)予約受付開始の告知がなされていたからだ。どうも入荷は12月早々になるらしい。MLではこれがPSIONseries5及び5mxとうまくつながるかどうかについて疑問が呈せられていた(**)が、人柱になる覚悟で購入することにした。過日のビッグサイトでの展示で見て以来、楽しみにしていた製品である。11月中旬といわれていた出荷が遅れにおくれたのも、さまざまな機種に対応させるためと前向きに考えることにしたい。いずれ、これを試した結果をここに述べることになろう。


(*)現在、わが国で発売されている携帯電話の多くは、赤外線によるコンピュータとの接続ができない(NOKIA社のものなど一部を除く)。本機を使うことによって、普通の携帯電話が赤外線対応となる。現在、公衆電話を利用しているが、これでどこでもインターネットにアクセスすることができるようになる。

(**)この報告をした人は、この製品を試作段階で試したということである。


2000年11月15日記

江古田の大学で講義を終え、秋葉原に出る。ときどきあそこの空気を吸いたくなる。われわれの世代で研究者を志す者の多くは、必ずといっていいくらい、一度はコンピュータというモノにハマる。機械嫌いだったわたしもその例外ではなかった。モノ書きという職業にとって、よりよい環境で仕事をするということと、よい文房具・筆記用具を選ぶということとは、同値だからなのだろうか。一時期よくこの街を訪れた。

秋葉原もくるたびに様がわりをする街である。だが、この街の持つ変わらない独特の雰囲気は、ちょっと脇道に入ったところで感じることができる。平日だというのに、襟つきの柄のはいった綿シャツにジーンズ、肩からショルダーバッグをひっかけ、ほとんどの場合眼鏡をかけた姿(なり)の諸君がいることいること。この光景を見るにつけ、日本の将来はまだまだ明るいと一人悦に入るのである。というのも、まず、これだけの人がブラブラできるだけ豊かであるということ、そして、ここにいる諸君の能力がいまだ社会的には有効に活用されていないということ。彼らが、それぞれの関心を持つ分野に彼らの持てるだけのこだわりと情熱を傾けることが環境が整えられたならば、もっともっと面白い国になるのではないかという潜在的力を感じさせられるからである。


2000年11月10日記

久しぶりに、帝国ホテルのアメリカン・クラブ・サンド(*)を食べた。一時、クラブ・サンドに凝り、あちこちのモノを食したが、一番おいしいと思ったのはここのであった。ボイルしてほぐしたチキンをマヨネーズと和え、瑞々しいトマトそしてカリッと焼いたベーコン、これらをサッと軽く焼いたパンに挟んである。

これらを一緒に食らいつく。この食感がいい。マヨネーズのコクとトマトの酸味が、わたしの好きなサラダの組み合わせ。これに焼いたパンの香ばしさが加わるわけである。うまくないはずがない。

忙しい中、とりあえずお腹に入れるために食べるなら、これくらい手軽でボリュームあるうまいものを食べたい。


(*)2200円、サンドウィッチにこの額?と思うが、満足度はかなり高いと思う。


2000年11月06日記

恵比寿駅の西口そばにストック(*)という喫茶店がある。ご主人と奥さん二人でやっている店である。昭和30年代に始めたといっていたから、移り変わりの早い現在にあっては、老舗といってもよい。気取らない店。古きよき東京がここにはある。髪をきちんと乾かさずに銭湯から出て、帰宅するまえにここでテレビでも見ながらビールを、といった風情である(いやに具体的だが、その理由は、実際このようなおばさんと出くわしたことがあるからである)。ここのご主人は恵比寿のことにめっぽう詳しく、まさに生き字引きである。おしゃべりが実に楽しい。

もちろん、わたしはこの店に雰囲気だけを楽しみにいくのではない。ここのわたしのお気に入りは、ドライカレー(**)とレモンスカッシュ(***)である。カレーは文句なく、うまい。あとでじわじわ効いてくる香辛料は、体を芯から暖めてくれる。そして、何よりも感動的なのはレモンスカッシュ。レモンをしっかりしぼり、ガムシロップと合わせてご主人がシェーカーを振る。業務用のレモン汁をつかうのとは訳がちがう。ぜひ、一度味わってほしい。


(*)tel:03-3441-1460

(**)550円、dancyuでも紹介された。泉麻人もお気に入り。

(***)420円


2000年11月05日記

この連休は毎日仕事に追われ、どこにも出かけることが出来なかった。しかし、いま住んでいるお台場は散歩感覚でちょっとした気晴らしができるのでいい。いつまでここに住むことになるかわからないが、いる間はできるだけこの環境を享受することにしたい。

すぐ近くにあるのに、一度も行ったことがなかったホテル・ニッコー・台場。最近では、結婚式・披露宴に人気の場所と聞く。連休中、一度ここに散歩がてらお茶を飲みに出かけた。2階にある珈琲ショップ「マルコ・ポーロ」。ブッフェ形式のランチがリーズナブルと話題の店らしいが、きょうはケーキセット(*)。久しぶりにサバラン(**)を食べることにした。サバランといえば、自由が丘にあるダロワイヨ(***)のものをよく食べていた。ここのものは、浸したお酒がラム酒そのものではなく、フルーティーな風味が加えられ万人向けのバランスの取れた味になっている。しっかりしたお酒の味とのブレンドを楽しみたい人は、ダロワイヨをお薦めする。


(*)ケーキセット1000円。

(**)『美味礼賛』の著者としてそして美食家として有名なブリア・サバランの名前に由来する洋菓子。ラム酒を浸したスポンジにクリームとフルーツをのせたもの。

(***)自由が丘や銀座などにある。パンやお惣菜なども置いている。以前住んでいたところのそばにあったので、頻繁に行っていた。いずれ本欄で取り上げることもあるだろう。


2000年11月02日記

突如として、原因不明のトラブルでメールが読めなくなったわたしのPSIONだが、やっと読めるようになった(*)。実際、何が理由だったのかわからない。しかし、一応、考えられることはすべてやってみた(**)。一部ソフトのリストア、日頃はめったに見ることのないシステムフォルダの点検。

ちょうど、最近購読し始めた"PALMTOP MAGAZINE"(***)の28号にシステムフォルダの中身に関する記事が出ていたことを思い出し、改めて読み直してみた。ひとつずつ丁寧にシステムフォルダの中を確認しながら、「これは」と思われるファイル(特に初期設定ファイル)を削除した。たぶん、これらのファイルがいたずらをしていたのだろう。

とりあえず今日帰ったらこの環境をバックアップしておこう。また、トラブルがおこったら怖いから・・・。


(*)「お台場日誌」にも書いたが、ここ数日、わたしの頭はこのことで一杯だった。

(**)設定をいじくりまわすことは勿論、赤外線対応IC公衆電話のIrDAに関する仕様書をチェックし、ATコマンド修正を試してみたりもした。やるときはトコトン。

(***)PSIONに関するわが国における情報の少なさに不満を持つわたしが、最近購読を始めた英国のPSION専門誌。二カ月に一度の刊行で、すべてカラー。記事は一般向けで、ハード及びソフトのレビューなど内容はなかなか充実している。


2000年10月30日記

数日前、神奈川県の仕事で横浜に打ち合わせにいった。場所は、横浜駅の近くにある県民センターだ。午前10時からだったが、ちょっと早めに着いたので、1階にある喫茶店で時間まで資料などに目を通すことにした。

「ともしび喫茶」という名の喫茶店。よくある役所に付属の店かと思いきや、全くそうではなかった。ここには、ハンディキャップも持ったウェイトレスさんが数人いて、わたしたちにコーヒーをサーブしてくれるのだ。書類からときどき目を上げると一生懸命ナプキンを折る作業をしている彼女たちが目に入る。

最近では、"handicapped"とは言わず、"challennged"というそうだ。ぜひ、少しでも応援したい気持ちになる。

県民センターには来年にかけ、何度も足を運ぶことになるだろう。そのときには、また少し早くここに着て、一息ついてから仕事をはじめることにしよう。


2000年10月24日記

最近のわたしの楽しみは、夕食後のひととき、カカオがバッチリ効いたビター・チョコレートを一枚だけ味わうことである。カカオの風味を確かめながら、ゆっくり味わいたいので、カカオの含有率にはできるだけこだわることにしている。

ミッシェル・ショーダン(Michel Chaudun)(*)のナポリタン・オ・フェーヴ(Napolitain aux feves)(**)は、ローストしたカカオ豆を砕き、カカオ分70%のチョコレートに練り込んだもの。カカオ豆の歯ごたえは、ローストしたコーヒー豆を噛んだときの感触に似ている。しかし、コーヒーの苦みとは全く異なり、微かにナッツを口に含んだときの香りがする。そして、次の瞬間、カカオの苦みと風味が口に広がってくる。

まるで、ワインやウィスキーを嗜むかのような楽しみ方ができるのである。


(*)銀座松坂屋店:tel03-3572-1111(代)、東京都中央区銀座6-10-1松坂屋銀座店B1、水曜不定休(松坂屋に準ずる)。なお、玉川高島屋店もある。

(**)24個入1800円、12個入800円、5個入300円の3種類がある。


2000年10月23日記

だんだん肌寒くなってくる。今日は雨だが、雨の滴りも夏とは全くちがう風情を持っている。冬が近づき寒くなると、チョコレートの季節だ。何故か。

もちろん、チョコレートの原料であるカカオはアフリカや中南米が原産。神が暑い国に遣わした宝物を本当に楽しむことができるのは、寒い国だというのだから、皮肉な話だ。

ここ数年来、冬になると話題になるチョコレートがある。ご存じの方も多いと思うが、「生チョコ」、正式には「パヴェ(石畳)」と呼ばれるチョコレートである。もともと、ボンボン・ショコラのガナシュ(*)にチョコの覆い(クベルテュール)をせず、それにたっぷりココア・パウダーをまぶしたモノがスイスで売り出されたことに始まる(**)。四角く形を整え、それを平たい箱に敷き詰めて売ったことから、その雰囲気に因んで「パヴェ(石畳)」という名前がついた。

ここ数年、わたしは冬になると、この「パヴェ(石畳)」が楽しみになる。北海道で生まれ育ったわたしは、「パヴェ」といえば札幌のロイズ・コンフェクト(***)のモノがすぐに思い浮かぶ。最近では、六花亭と共に北海道土産の定番となりつつある業者である。生チョコといえば、おそらく元祖はロイズだが、近年、その成功を見た業者が次々と参入している。北海道のような寒冷地において、こうした食べ物が生まれるのは、ある種必然である。東京にも白金・外苑西通り沿いにエリカ(***)という店があるが、冬にしか「パヴェ」を売らないと聞く。

やっぱり、冬はチョコレートの季節なのである。


(*)チョコレートと生クリームを混ぜたもの。トリュフやボンボンの中に入っているやわらかいチョコレート。

(**)1947年、スイスのステットラー氏が生み出した「ジュネーブの石畳(パヴェ・ド・ジュネーヴ)」が生チョコの原型だといわれる。

(***)tel:011-218-1111(ロイズ・コンフェクト通販センター)北海道札幌市中央区大通西5-11


2000年10月22日記

妻が大切にしていたハンドバッグの持ち手が壊れてしまった。修理を頼むべく、いくつか思い当たる鞄屋をまわってみたが、なかなか修理を請け負ってくれるところはない(*)。というわけで、やっとの思いで見つけた修理屋は東京駅のすぐ近くだと聞き、本日最初の目的地はまずここに決めた。しかし、あいにくというか、案の定、日曜日は休業のようで妻は後日改めてこちらに出てくることにした。

ちょうど、東京駅まできたのだから、ぜひ行こうということになったのが、大丸百貨店の中にある「カフェ・コムサ」(**)。以前、妻から教わった「数少ない」店の一つである。友達でケーキ屋さんにたいへん詳しい人がいて、その人に連れてきてもらったのが最初だという。確かに女性にウける店作りである。白を基調としたこぎれいな店内。置いてあるケーキは、フルーツたっぷりで色彩的にも楽しいものばかり。味はというと、これまた美容に気を使う女性にぴったりで甘さ控えめ。「つかみが大切」というのは、あるテレビCMで本上まなみが言っているセリフであるが、「つかみはバッチリ」の店である。

わたしは、果物はいろいろ加工して食べることを好まない。果物はできるだけそのまま旬で食べるのを良しとする。結局、(ここの売りだと考えられる)フルーツのタルトやコンポートではなく、モン・ブランを食べた。モンブランは渋皮がしっかり練りこまれたものがいい。これにスポンジケーキにカスタードクリーム、そして上にはマロングラッセがのっている。グラッセ以外は、日本でも定番の組み合わせである。甘さを抑えたメニューの中にあっても、しっかり甘さを堪能できる唯一のものではないか。やはり、デザートは甘くなければ。


(*)どうも自社の製品のみは修理するというところが多いようだ。妻のハンドバッグは、以前、大切な人から譲られた物で古いが作りはしっかりしている。こういうバッグこそ長く大切に使いたいものだ。しかし、修理をしてくれるところは東京都内にあっても意外に少ない。

(**)カフェ・コムサ東京大丸店、tel:03-3240-6027、東京都千代田区丸の内1-9-1東京大丸3F。名前からも容易に想像できるように、コム・サ・デ・モードのプロデュース。最近、カフェばかりでなく、ステーショナリーにも進出している。


2000年10月21日記

午後3時から研究会が四谷である。午前中は研究室で仕事、お昼過ぎに軽く昼食をとってから出れば、十分、間に合う。

ほとんど半年ぶりに三田の学食(*)に寄り、久しぶりにここのカレーを食べた。普通盛310円、大盛360円。驚異的な安さである。そして、この数十年間、この味を続け、支持され続けている(少なくともわたしはそうである。)。このご時世、変わらないということも一つの価値である。

一時期、わたしは毎日といってよいくらいここのカレーをよく食べていたが、久しぶりのその味は、前よりも辛さと香ばしさが少し弱くなったかな、という感じ。でも、またくせになって通ってしまいそうなこの味である。


(*)三田にはいくつか学食があるが、その中でも、わたしの学生時代からのお気に入りは、「山食」である。かつて三田の山頂にあったことから、このような名前がついたと言われている。自慢にもならないが、わたしはここでカレー以外のメニューを食べたことがない。


2000年10月15日記

銀座にある行きつけのお店の板長から、一度、行って見てごらんといわれた店がある。ちょっと前から、機会を見つけて行こうと思っていたが、その希望はやっと今日実現した。橙家(daidaiya)(*)という創作和食の店が今年の5月に銀座にオープンした。三井アーバンホテルのすぐそば銀座ナインの二階にあり、どちらかといえば新橋駅に近い。店内は巧妙に空間をデザインした見事な演出。他の客のざわめきを感じながらのプライベートな空間。一度見ていただきたい。だから、これ以上詳しくは述べるまい。

えてして、このようにデザインの凝った店は、見掛け倒しが多いように思う。しかし、ここの料理は良い意味で例外である(**)。朴葉を使って焼いた牛肉はやわらかく、風味も利いている。竹筒に入れられた日本酒もいい。一風変わった演出の握りも驚きとともにそのアイディアに感心した。


(*)tel:03-5537-3566、東京都中央区銀座西8-5先銀座ナインNo.1二階、午後5時から翌日1時まで、年中無休。

(**)初めてなので、コースを食した(5000円から)。寿司と炭火焼きがお薦め。ただ、お品書きを見る限りでは、ぜひ一品料理も食してみたいという気になった。


2000年10月14日記

内幸町のプレスクラブで大学時代入っていたサークルのパーテイーがあった。帰る途中、気の合う友人S氏とバーで飲むことにした。

午後9時。このくらいの時間になれば、待つこともなくすぐに入ることができる。ピアノが流れる店内。日比谷にある帝国ホテルの1階、ランデブー・バー(Rendez-vous Bar)。

そういえば、東京に来た12年前、初めて父と一緒に飲んだのもこの店だった。せっかくだから、カクテルを飲もうと思い、メニューを持ってきてもらおうとした。しかし、それがないというのだ(*)。リクエスト通りに好きなカクテルを作るのだという。二人ともあわてた。カクテルの種類を全く知らなかったのだ。二人は、結局、黒ビールを注文した。単なるビールでないところが、私たちの精一杯の見栄であった(**)。


(*)今は、このようなことはないようだ。取り扱っているものはすべてメニューに記載されている。


2000年10月12日記

こんな時期になるまで、真夏日があるなんて全く信じられない。それほど、今日は暑かった。いつになったら冬がくるのだろう。こんな日だから、ついつい大学に出掛けず、家で来週の講義の準備など必要な仕事を片付けることにした。

夕方から虎ノ門で研究会があるため、午後遅くに家を出た。研究会に行くまえの腹ごしらえをということで、久しぶりに「新橋・さぬきや」に寄ることにした。新橋西口通りを新橋駅からしばらく歩くと、左手にその店はある。

独身時代、わたしは風邪をひくと必ずこの店にきて、ここのみそけんちんうどん(*)を食べたものだった。野菜と肉がたっぷり入っており、体が暖まって元気になったような気になる。麺は強すぎず弱すぎず。けんちん汁には、このくらいのコシの強さが丁度いい。

もう少し経てば、ここのけんちんうどんがもっともっと恋しくなる季節がくる。


(*)みそけんちんは、980円。その他うどんをはじめ、酒のつまみもいろいろ置いている。ふつうのうどんは関西風の薄味。


2000年10月11日記

このPDAにだんだん愛着がわいてきた。これがないと出掛ける時に不安になるくらいだ。ところかまわずこれを取り出し、HP作成や原稿をまとめたりしている。かなり過酷な使い方をしていると思う。バスなどで移動中に仕事をしているときなんか、目的地に着いたと気付き、慌てて鞄の中に無造作に放り込むこともしばしば。機械にとって、きっとよくないんだろうなと思いながら、ついやってしまう。つくづくハード・ディスクが回っていなくてよかったと思う。

「やっぱりこれ用にカバーを買った方がいいのかな。」などと考える今日この頃。

東京丸の内のブランド・ショップが並ぶの通りに、皮革製品を扱うマルベリー(Mulberry)という店がある。英国のブランドだ。この店には、PSION専用のポーチや簡易バッグが売っている。しかも、展示はPSIONのモックアップ付きで。現在、わが国にわずかしかいないPSIONユーザのために(?)貴重な売場スペースを使い展示しているから驚きだ。このメーカーの心意気に敬意を表したい。見たところ、革の品質及び縫製ともにいい感じだ。わたしは、自らの用途を考えるともうすこし違ったデザインのものがいいと思っているので、いまのところときどき店をのぞいては、「こんな店が丸の内にある」とよろこんでいるだけである。ここの製品はちょっと値がはるので、「使うことより持つことに喜びを感じる」人には、もってこいだといえる。


2000年10月06日記

今日は、朝から学会のため横浜の或る大学にいた。研究・報告会そして懇親会を終え、後は帰るばかりである。帰り際、横浜駅にちょっと寄っていくことにした。横浜にきたら必ず立ち寄る喫茶店があるからだ。駅近く、西口五番街を入ってすぐちょっと脇に入ったところにその店はある。大学時代の友人が経営する「横濱珈琲館」という喫茶店だ。この辺りの雑踏にあって意外くらい洒落た店である。

喫茶店というものは、日に何度となく表情を変える。それが魅力でもある。この店もきっとそうなのであろう。でも、わたしはこの店にいつも変わらずにある友人の顔を見るのがただ楽しみで立ち寄ることにしている。


2000年10月04日記

多摩にある大学の講義を終え、その後、ある用件のため、帰宅途中、鳥居坂に寄った。用を済まし、最寄り駅の六本木まで歩く。ちょうど昨日は妻の誕生日だったので、ケーキを買って帰ることにした。六本木通り沿い、ちょうど麻布警察署の向かいにその店がある。クローバー(CLOVER)(*)。そういえば、結婚する前に彼女の家にご挨拶に行ったときもここのガトー・セックを持っていった。

プレーンな莓のケーキをホールで購入(**)。名前を入れてもらい、ろうそくをつけてもらった。注意深く丁寧に焼かれたスポンジは、味と程よく調和した「密度」ある食感。ケーキはこれに尽きる。

この辺で会合や食事会などがあったとき、帰りぎわにひょっと寄ったのが、この店との出会いである。二階の喫茶室で、しばしのんびりしてから帰宅の途につくのがいつもである。一日を締め括るのに相応しい豊かな気分にさせてくれる空間だ。


(*)tel:03-3401-9681

(**)いろいろ種類はあるが、莓のケーキ・ホールで4500円と3500円がある。大体ホールもので2000円くらいから。予約を入れておくと無難。


2000年10月01日記

日曜日は朝からお茶の稽古のため、目黒不動まで出掛ける。帰りはいつも午後2時位になる。いつも目黒不動から五反田まで歩くことにしている。

五反田駅のホームで携帯電話が鳴った。妻からだ。たこ焼きを食べたくなったらしい。いつもは浜松町からバスで家路につくところだが、今日は新橋まわりで帰ることにしよう。妻は、新橋駅のすぐそばにある「築地・銀だこ」(*)がお気に入りだからだ。このたこ焼き、つられてわたしも好きになった。

いわゆる「たこ焼き」とは異なり、表面はさっくりしている。最後に油で表面を揚げる(?)からであろう。いままでにない食感である。巷では「たこ焼き」がちょっとしたブームのようである。下北沢などを中心にいろんなたこ焼き屋があるようだが、いずれも「外はサクサク中はモチモチ」(松たか子)とした食感がウけている。最近、ブームのシュー・クリームもこうした流れにある。意外な共通点である。


(*)築地・銀だこ新橋店(03-3574-8002):新橋駅のロータリー側出口のそば、京急スーパー内


2000年9月26日記

スタイラス(stylus)。辞書を見ると「鉄筆、尖筆」とある。昔懐かしいガリ版を引っ掻いたアレである。最近では、これらの語義にもう一つ加える必要があるだろう。「PDAの画面操作に必要とされるペン型のマウス」(?)とでも言おうか。語源はラテン語のようだ。それはこの単語の複数形(stylis)に表れている。

いまのところ、秋葉原のイケショップなんかにいくと、さまざまな種類のスタイラスが販売されている。わが国の万年筆メーカーであるパイロットも発売をはじめた。

今月はじめパームOS搭載PDAがソニーから発売され、雑誌でもさまざまな特集が組まれている。いよいよわが国にもPDAの波が本格化しそうである。それに伴って、付属のスタイラスに納得しないコダワリ層のニーズがいやがおうにも高まっていくに違いない。

わたしは、PSIONを購入してすぐに理想のスタイラス探しを始めた一人である。とりあえず、現在使っているのはティファニーのボールペンにクロスのスタイラス・レフィルを入れたものである。ティファニーのレフィルにクロスがピッタリはまることを発見し使っているのは、わたしだけかなぁなどと悦に入っているのである。


2000年9月25日記

このPDAを使い始め、もうすこしで一ヶ月になる。PSION(サイオン)series5mx。イギリス製のコンピュータ(従って英語版!!)で日本ではいまだマイナーな存在である。おそらく、日本におけるユーザ数は1000人を切っているのではないか(未確認情報)。しかしながら、こうした難点を補って余りあるほどのメリットをわたしは日々感じている。他方、PSIONの輸入総代理店エヌフォーからUniFEP(*)というソフトが販売されており、日本語対応の方は、完璧とはいえないまでもかなりのレベルに達している(**)。わたしは、主に外出時にHP、講義のレジュメや原稿の作成に使用している。一ヶ月でほぼ環境が整ってきたので、日本ではあまりにも情報が少ないPSION生活の諸々を今後折りを見つけて少しずつ公開していくことにしたい。


(*)8月下旬にEnfour(エヌフォー)社からUNIFEPv.2(日本語入力・表示ソフト)が発売され、日本語の環境が大幅にアップした。ちなみにわたしは、このソフトが出て本体とバンドルされるのを待ってサイオンを購入した。

(**)いまだインライン入力及び連文節変換には対応していないことが難点としてあげることができる。しかし、辞書は作業を妨げることが全くない位充実しているし、変換は慣れれば全く問題ない。インライン入力に至っては画面が一般のパソコンと比べて大きくはないので、視点の移動に伴うストレスをそれほど感じることはない。むしろ、アップル・マッキントッシュの出始めたころ、インライン入力に対応していないソフトがまだあったが、それが懐かしいくらいだ。


2000年9月23日記

初と書いて「UBU(うぶ)」と読む。昨年5月にできた店だ(*)。たまたま勤務している大学の裏にあり、当時よく行っていた中国茶の店(**)の筋向かいに突如として現れた。この店の暖簾をくぐるまで、それほど時間を要さなかった。茶の師匠がしばしば行っていると聞いていたからだ。

今日は、大学・大学院時代の師匠を囲んでの夕食会。最近、先生は三田周辺を歩いていないということなので、わたしは大学に近いこの店を選んだ。ここでのわたしの楽しみは季節を感じさせる炊き込み御飯。旬の食材の味を邪魔しない自然な風味を楽しむことができる。今日は小芋が入っていた。リーズナブルな値段の会席(***)。供されるお皿や椀もぜひ楽しみたい。


(*)tel:03-5418-8051、東京都港区三田2-6-13コート三田、月曜定休

(**)china-cha club:中国茶の専門店

(***)会席のコースは、5000円から。一品料理もあり。まずランチから挑戦してもよいだろう。ランチなら限定20食の松花堂弁当がお気に入り(2000円)。


2000年9月22日記

午後から目白にある大学で研究会があった。目白に来ると必ず立ち寄る店があった。田中屋である。駅前の商店街をしばらく行くと酒屋があり、その脇の階段を降りてゆくとその喫茶店に行きつく。大学時代師事していた書の師がこの大学で講師をしていた。何か用があるたびに目白に来たが、いつも「お車代」と称しておこづかいをくれた。 「田中屋さんに行っておいで」。

ケーキ・飲み物とも値段は安かった。学生ばかりではなく、幅広い人に愛されていた。街の一隅を照らす飾り気のない店である。いまはもうない(*)。


(*)現在、田中屋は一階の酒屋のみ営業。


=>[日々雑感]
=>[home]