『KEOデータベース-産出および資本・労働投入の測定-』(KEO Monograph Series No.8)

 序

 21世紀の幕開けを数年後に控えて、いまわれわれを取り巻く経済・社会の環境は大きな回天の期を迎えている。大規模生産技術に支えられた 20世紀の発展の構造への歴史的評価を踏まえて新たなる、よりグローバルな、そしてフレキシブルな経済・社会の構築が要請されている。それは、国際間の物流、人流のより流動化を可能ならしめる、情報技術に代表される革新的技術の開発に、その変化の礎をもとめることができるけれども、その技術に適合した一国の経済社会のシステムの構築は、いま始動をはじめたばかりと言って過言ではない。また一方で、その技術が招来する国際化社会での、種々異なった発展段階にある国々の相互依存の形態とその役割についても、新たな構図が描かれなければならない。このことは、わが国をはじめとする先進各国の人口構成の高齢化の現象、発展途上の国々における人口規模の更なる拡大の可能性というもうひとつの発展の制約因子と無関係には論ずることはできない。そしてまた、21世紀は、20世紀に比較的無頓着に費消してきた環境資源が発展の大きな制約となる時代でもある。技術特性の変容、国際社会の中での横断的依存の深化、世代間の人的資源の構造的変化、そして環境資源の制約といった経済・社会を取り巻く、いわば従来外延的と考えられてきた各種の因子の特性の変移が、もはや決して外延的因子として、楽天的に見過ごすことができない状況になってきていることに、ここでのわれわれが抱える問題の深刻さがあるといえるかもしれない。
 われわれの研究室では、経済の実証的分析をすすめるという観点から、従来からこうした課題に答える経済分析者としての責務を自覚し、実証科学としての経済の分析がどうあるべきかについて議論を進めてきた。20世紀の経済分析の発展は、経済の急速な発展の状況に支えられ、またある側面では、経済政策や制度の構築への指針を提供する形で、学問として飛躍的な進歩を遂げたとと評価することができるかもしれない。しかし、一方で精緻な理論展開が、ややもすれば実証的な観測事実の基礎を失って、理論と実証の乖離の幅を拡大させることになったという側面をもっているとの批判もうなずける。こうした20世紀の経済学に対する評価を考え、21 世紀にむけての経済学の飛躍を目指すとき、もう一度、迂遠ではあるが、経験科学としての原点に立ち戻って、経済現象の正確な観測から体系を再構築することがどうしても必要だと考えるに至っている。
本書の目的は、こうした発想に基づき、われわれの研究室においてこれまで蓄積してきた経済データの一部を体系的に整理し、報告することにある。ここでのデータベースは、公表の国民経済計算、産業連関表などの各種資料との整合性を保持しながら、産業43部門の投入・産出表を推計したものである。投入・産出表は、1960年から 1992年までの時系列で完成しており、価格デフレーターの推計も備わっている。また、この投入・産出表に対応した労働、資本などの要素投入に関しても推計をおこなっている。労働は、各産業部門別に、労働投入量を性別、年齢別、職能別、学歴別にクロス分類した労働者数、労働時間、賃金率の時系列資料となっている。また、資本投入に関しては、資本財(78商品分類)×産業部門の固定資本マトリックスの推計を投資フローとその累積ストックについて推計を試みている。これらの体系は、われわれが構想している経済データバンクの一部を構成するものであり、その完成にむけての一里塚であると考えている。
推計に関してはわれわれの研究室における共同研究であるけれども、各章での執筆に関して担当は次のとおりである。
    第1章 KDB作成の目的と概観
      黒田昌裕(慶應義塾大学商学部長)
    第2章 時系列産業連関表の推計
      新保一成(慶應義塾大学商学部助教授)
    第3章 資本ストックの推計
    第5章 屑・副産物発生及び投入表の推計
      野村浩二(慶應義塾大学産業研究所助手)
    第4章 労働投入の推計
      小林信行(慶應義塾大学商学部博士課程)
 このプロジェクトは、慶応義塾大学大型研究「環太平洋地域における経済と経営」の研究成果の一部でもある。また、特に資本ストックの推計に関しては、平成8年度文部省科学研究費・重点領域研究「ミクロ統計データ」の公募研究としても研究助成を受けている。これらの助成なくしては、ここでの成果は、到達し得なかったものである。これらの助成に感謝の意を表するとともに、ここまでの研究の成果について、大方のご批判を得たいと考え、まだ研究半ばではあるけれども報告を決意した次第である。現在、大学からの情報発信の必要性とその情報内容の独自性が叫ばれている。そのことを含め、本書がこの分野のデータベースとして他の研究者の利用を深め、さらに完成度の高いデータベースとなるための議論の素材提供となるばかりではなく、情報に対する大学の取り組み方に関する今後の議論、研究の深化にいささかでも役に立てばと願っている。
    黒田 昌裕